じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 北九州・板櫃川と槻田川の合流地点で見かけた紅白の桃(八重咲きの梅かもしれないが、季節的には桃の花の咲く時期かと思う)。1本の幹から2色に割き分ける「源平咲き」になっている。


2019年3月23日(土)



【小さな話題】又吉直樹のヘウレーカ!「ボクらはなぜ“絵”を描くのか?」(3)絵を描くという行動の強化因

 昨日に続いて、「又吉直樹のヘウレーカ!」の、

●ボクらはなぜ“絵”を描くのか?

についての感想。今回は、本題そのままの、

●なぜ絵を描くのか?

について考えてみることにしたい。番組では画学生たちがめいめい、自分が絵を描く理由を披露しておられた。また、解説の斎藤先生は、「おもしろい」が根源であり、

●人が見ていない「おもしろい」部分を切り取って表現として見せてくれるのが絵の「おもしろさ」d

と言っておられた。

 私自身は、「絵を描く」行動は2つのタイプに分けられるように思う。
  1. 対象と向き合って、一定時間その対象に関わること自体で強化される。
  2. 他者に見せることで強化される。
 このうち1.は、何かの絶景でも桜の花でもよいのだが、例えば1時間のフリータイムがあって何かの対象に向かい合う機会があった時に、「スケッチをする」ような行動である。景色を記憶にとどめるだけであるならばじっと眺めていてもよいし、何枚も写真を撮ることでも可能だが、それだけでは物足りず、時間を持て余してしまう。スケッチをすれば、対象のより細かいところまで観察し、新しい発見につながることもある。この場合、作品を人に見せることは必ずしも目的にはならない。一定時間対象に関わるというプロセス自体が行動内在的な強化となるのである。

 2.のほうは、他者から賞賛されることで強化される場合もあるが、むしろ、自分の感情を他者に伝えようとして描き、それを見た人が共感してくれることで強化されていくように思う。その場合、やはり技法的な訓練は必要。他者からの高評価が全く得られずに描き続けることは難しい。

 もちろん、1.と2.は排他的ではない。どんな画家でも部分的に1.の理由は含まれていると思われる。2.の理由はその画家がどのように生計を立てているのか(あるいは収入源は別にあって、完全に趣味で描いているのか)などによって異なってくるだろう。

 私自身は高校卒業後は全く絵を描かなくなってしまったが、美術館は稀に訪れることがある。私の好みは、
  • 癒やしをもたらしてくれるような風景画
  • 具象的であるが現実にはあり得ない構図
  • 超写実画(こちらに展示されているような絵画)
などである。いっぽう、あまりにも抽象的な模様のような絵はあまり興味が持てない。

 絵画というといまだに油絵や日本画の技法が中心かと思うが、最近はデジタル画像をさまざまな形に加工することができるし、必ずしも静止画にこだわる必要は無くなった。バーチャル空間の中でのファンタジックな世界を味わうことも、伝統的な絵画鑑賞と同等に価値があるように思う。