じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 100円ショップで売られている老眼鏡は、落としたりカバンの中で押しつぶされたりしなくても、一定回数使うと壊れるようにできているようである。これまでは、テンプルや先セルが欠けたりしていたが、今回初めてブリッジに近いリムの部分が突然真っ二つに割れてレンズが飛び出した。【メガネの部位の名称についてはこちら参照。】
 100円メガネ(正確には消費税プラスで108円)なので壊れてもまた買い直せばよいという気になるが、100円メガネを使い続けることが自分の目によいのか悪いのかはよく分からない。


2019年3月30日(土)



【小さな話題】又吉直樹のヘウレーカ!スペシャル「この“なぜ”はほっとけない!?」(1)言葉を喋る?シジュウカラ(1)

 3月27日放送の、

又吉直樹のヘウレーカ! 「この“なぜ”はほっとけない!?」

の感想。この回はスペシャル番組となっており、大阪大学・仲野徹先生の案内役のもと、6名の若手研究者がいま取り組んでいる研究の面白さや将来の夢を語っておられた。
  • 言葉を喋る?シジュウカラ
  • 人の顔色を読む?馬
  • 左巻きカタツムリは少数派なのになぜ生き残ったか?
  • 日本食はヘルシー?
  • 恐竜の卵の特徴から何が分かるか?
  • 器官の状態をエピジェネティクスにより変化させて適応する昆虫
というものでどれも興味深い内容であった【上記の内容は、長谷川が理解できた範囲で独自に要約したもの】。

 最初に登場したのは、シジュウカラとその仲間を対象に小鳥のコミュニケーションや文法活用を研究している鈴木俊貴氏であった。番組で説明された点を要約すると以下のようになる。
  1. これまで、動物の鳴き声は単なる感情の表れであると考えられてきた。
  2. シジュウカラは単語や文法を使っている。
  3. シジュウカラは単語を組み合わせて文章を作っている。
  4. 文法が知られているのは人以外ではシジュウカラだけ。
  5. 「警戒(ピーッピ)」」、「集まれ(ヂヂヂ)」を組み合わせた「ピーッピヂヂヂ」は意味が通じるが、録音合成して「ヂヂヂピーッピ」のように並び替えると意味が通じない。
  6. ダーウィンは、言葉の進化は、人以外の種が言葉を持たないため種間の比較ができず進化の道筋が分からないと述べていたが【長谷川による意訳】、シジュウカラが言葉を使っていることから、人類の言葉の進化をさぐる一助になる可能性がある。
 2019年度も、特命教授として「言語行動論」を担当させていただくことになっており、上記の研究内容はまことに興味深い。もっとも、私が理解できた範囲で言えば、以下のような疑問が残る。とはいえ、鈴木氏の論文をちゃんと拝読していないので、何とも言えない。
  • フクロウ、ヘビ、カラスなどとそれを表す鳴き声との対応は生得的に決まっているようである(人間の言語のように、事象と音声との間に恣意的な関係は存在しない)。であるからして、人間の幼児のように、実物と音声の対呈示訓練を多数回受ける必要はない。
  • 逆に、事象と鳴き声の対応関係に学習が必要であるとするなら、関係フレーム理論で言うところの派生的関係反応も生じるはずである。
  • 単語の組み合わせで文を作ることについては、番組だけではどういう事例があるのかはよく分からなかった。但し、「ピーッピ、ヂヂヂ」が単語の組み合わせなのか、それとも「ピーッピヂヂヂ」という新しい別の単語なのかは区別する必要がある。このWeb日記でも書いたように、例えば、「日day」と「本book」はそれぞれ別の意味を持つ単語であり、「日本Japan」は「日」と「本」から構成されているがこれは別の単語であると見なされる。必ずしも「日」と「本」を組み合わせたとは考えにくい。
  • フクロウ、ヘビ、カラスに対応した鳴き声があり、これを「警戒(ピーッピ)」という鳴き声と交互に発したとしても、それが「組み合わせ」と言えるのか、それとも単発的に2つの独立した単語を交代に発したのか区別する必要がある。
  • 素朴に考えると、人間の言語では、「警戒、集まれ」と、その語順を変えた「集まれ、警戒」は同じ意味になる。シジュウカラで「ピーッピヂヂヂ」は意味があり、「ヂヂヂピーッピ」は意味が通じないというのはむしろ奇妙。やはり「ピーッピヂヂヂ」は単語の組み合わせではなくて固有の別の単語ではないのか?

 一般に、群れで暮らす動物たちは、同種間でさまざまなコミュニケーションをとっている。但し、「コミュニケーション」イコール「言葉の使用」というわけでは必ずしもない。例えば、ニワトリ小屋にキツネが侵入してきた時に、それに気づいた1羽がけたたましく鳴き声を上げたとする。その声自体は、驚いたり怖がったりするレスポンデント反応であるかもしれないが、その鳴き声をきっかけに他のニワトリたちが一斉に鳴き出したり逃げ回ったりするようになれば結果的にコミュニケーションとして機能していることになる。ちなみに最近では、エクソソーム(exosome、エキソソーム)もコミュニケーションができるみたいなことが言われており、「コミュニケーション」は定義しだいはかなりの範囲まで拡張できるように思われる。

 いっぽう、言語行動かどうかという問題も定義次第で変わってくると思われるので、ある動物が言葉を使えるかどうかという議論よりもむしろ、言語行動をどう定義することがより生産的かという議論のほうが重要となる。私が有用であると思うのは、やはり、関係フレーム理論でいうところの「恣意的に適用可能な派生的関係反応」という考え方であるが、この定義からとらえる限りは、シジュウカラの鳴き声の特徴は、鳥類の鳴き声としては特筆すべきタクトの機能があるとはいえ、まだまだ「言葉の使用」には至っていないように思われた。

 次回に続く。