Copyright(C)長谷川芳典 |
各種報道によると、政府は4月9日、一万円札、五千円札、千円札の3種類の紙幣のデザイン一新を発表した。このうち新千円札は、肖像として北里柴三郎、裏面には葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が採用されるとのことであった。 写真は、新千円札ゆかりの画像。今回の紙幣デザイン一新により、「きたさと」を「きたざと」と読み間違えたり、「柴三郎」の「柴」を「紫」と書き間違えたりする人は大幅に減ると思われる。 裏面の「神奈川沖浪裏」は、先月、北九州美術館でオリジナル摺絵を見たことがあった。しかも写真撮影OK。もっとも、この絵は版木の摩耗状態から明らかに数千枚は摺られており、その内数百枚が現存しているという話なので、実物といってもそれほど珍しいものではないのかもしれない。新千円札用の画像がどういう原画に基づくのか、興味深い。なお、実物を見るまではふすま絵のような大サイズだと思い込んでいたが、実際は25.7 cm × 37.9 cmであってかなり小さい。 |
【小さな話題】チコちゃんに叱られる!「なんで人は愛想笑いをするの?」 4月5日放送のNHKチコちゃんに叱られる?の感想。この回の4番目の疑問は ●なんで人は愛想笑いをするの? であり、正解は「サルだったころの名残」であるとされていた。 解説者として登場されたM教授によれば、サルには「可笑しみ」という感情はないものの、威嚇や服従する仕草として歯を見せる行動がある。じっさい、ニホンザルの群れを観察していると、ボスザルに攻撃されたサルが歯をむき出しにして服従のポーズをとる。これが愛想笑いの原点であるという説明であった。 もっとも、番組の説明は、少々飛躍がありすぎるように思う。人間はサルの仲間から進化したことは確かであるが、ニホンザルの群れの中で歯をむき出しにする行動が見られ、それが緊張緩和の役割を果たしているからといって、そういう形態的類似性や機能的類似性だけから「サルの名残」と考えるのは短絡的すぎるように思われる。 サルの名残として説明するのであれば、例えば、ニホンザルの群れで頻繁に見られるグルーミングやマウンティングはなぜ人間の行動には見られないのか【もっとも「マウンティング女子」という言葉もあるらしい】、つまり、サルの行動の中で、どういう条件を満たす行動が人間に継承され、何は継承されないのかということを予測できるような説明を示す必要がある。サルの群れの中でたまたま人間に似ている行動があった時に、それだけを取り出して「サルの名残」というように関係づけようとするのは、後付けのご都合主義的な「説明」に過ぎないのではないかという疑問が残る。 サルの群れは、高崎山や志賀高原地獄谷など、全国各地で観察することができるが、どこへ行っても、「サルに視線を合わせるな」と注意されることがある。目を合わせることは威嚇となり、攻撃を受ける恐れがあるからである。もっともこれを人間に当てはめてみると、日本人は一般に、相手と視線を合わせるのを避けようとするが、欧米人と話す時には相手の目をしっかり見て話さないと真剣さが足りないと思われてしまうことがある。だからといって、日本人だけが「視線を合わせない」というサルの習慣を継承しているわけではあるまい。 愛想笑いの頻度にも文化的な差があるようである。最近では訪日外国人も多いのでそういう誤解は減ってきたとは思うが、かつては、日本人の愛想笑いは、ニタニタしていて気持ち悪い、不真面目、自分をからかっているというように受け取られたことがあった。相当昔のことになるが、私もかつて、キリマンジャロ登山中、ポーターの人にマシュマロを差し上げたところ、一度も食べたことが無かったらしくて、その人は「これは何だ? 本当に食べ物か?」と言って口から吐き出してしまった。その時私が愛想笑いをしたところ、私がからかっていると解釈されてますます不機嫌になってしまったことを記憶している。 もっとも、外国人でも、インタビュー場面で自分のことを話したあとで、愛想笑いをする人は少なくないように思われる。いずれにせよ、愛想笑いは、サルの群れにおける服従の機能とは同一とは言えず、むしろ、笑いという反応の般化としてとらえ、それぞれの文化のもとで経験的に形成されると考えたほうが、さまざまな会話場面に当てはまるように思える。 |