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昨日に続いて、4月30日に訪れた下関市立しものせき水族館(愛称 海響館)のアルバム。館内ではイルカとアシカのショーが行われていた。 海洋動物の調教については、海外の一部には動物虐待にあたるという批判があると聞いているが、私自身は、適切な飼育環境が確保されているもとでは、多様なオペラント行動が強化されるような機会を提供することはむしろ、飼育動物を幸せにすることができると考えている。スキナーが『罰なき社会』で論じているように、行動を自発し強化されるということは人類最大の権利である。いくら衣食住環境が無制限に整っていたとしても、行動が強化される機会を奪われてしまったら、生きがいを得ることはできない。 |
【小さな話題】又吉直樹のヘウレーカ!「ホントに鳥は飛びたいのか?」 5月2日に再放送された、 又吉直樹のヘウレーカ!「ホントに鳥は飛びたいのか?」【初回放送は2018年9月5日】 の感想とコメント。 まず、番組前半では、鳥はどのくらいの時間、空を飛んでいるのか、という話題が取り上げられた。 渡り鳥の一種、オオソリハシシギは、毎年9月に繁殖地のアラスカからニュージーランドやオーストラリアに飛ぶが、その距離は10000km、約9日間無着陸で飛行するという。 いっぽう、街中で見かける鳥たちは一般に思われているほどは飛んでいない。番組スタッフのおおざっぱな調査(ハト・カラスは10匹、スズメは6匹の平均)によれば、30分あたりで実際に空を飛んだ時間は、
では鳥はなぜ飛ぶのか。番組では、
例えば、地上の穀物や昆虫を食べる鳥の場合は、飛ぶという行動は逃げる時のみ有用であろう。なので、天敵の少ない島では、飛べない鳥も生存できるようになる。いっぽう、ツバメのように空中で昆虫を捕獲したり、猛禽類のように空から急降下して獲物を狙う鳥の場合は、獲物を捕まえるために飛ぶということになる。 以前にもこのWeb日記で何度か取り上げたことがあるが、飼育されているオウム・インコ類は、狭いかごに監禁されていてかわいそうにも見えるが、鳥の立場から見ればむしろ、外敵に襲われる心配がなく、住み心地のよい安心安全な居住空間であるかもしれない。もし狭いかごがストレスになるのであれば早死にするはずだが、実際にはそういう空間で50年以上飼育された事例がいくつか知られている(例えば、京都市立動物園のキバタンなど)。 もっとも、現存の鳥類において「飛ぶ」という行動がどう機能しているのか、という問題と、進化の過程で鳥がどのようにして羽毛を身につけ、さらに「飛ぶ」ことがどのように有利に働いて進化してきたのか、という問題は分けて考える必要があるだろう。後者に関しては、
私が小中高生であった頃は、始祖鳥が鳥の先祖であると教えられていた。その説が否定されたのは1973年以降のことであるようだ。また、私が子どもの頃に見た恐竜の想像図はみなゾウのように皮膚が剥き出しに描かれていたが、最近では、マンモスのように毛むくじゃらに描かれていたりしていて驚くことがある。 なお、空を飛ぶ動物としては、哺乳類に属するコウモリがよく知られているが、コウモリの羽根は指の間に膜であり、腕の部分が羽毛となっている鳥類とは構造が異なるようである。コウモリがなぜ飛ぶのかということと比較対照して説明して貰えばさらに分かりやすかったかもしれない。ちなみに、ウィキペディアによれば、コウモリは鳥類よりも後から出現しており、 恐竜の栄えた中生代において、飛行する脊椎動物の主流は恐竜に系統的に近い翼竜と恐竜の直系子孫である鳥類が占めていた。中生代の終結において、恐竜とともに翼竜は絶滅し、鳥類も現生の鳥類に繋がる新鳥類以外の系統が絶えた。これにより、飛行する脊椎動物という生態系ニッチには幾分か「空き」ができた。ここに進出する形で哺乳類から進化したのがコウモリ類である。コウモリが飛行動物となった時点では、鳥類は既に確固とした生態系での地位を得ていたため、コウモリはその隙間を埋めるような形での生活圏を得た。と説明されている。太陽系外のどこかの惑星で、「翼竜と恐竜の直系子孫である鳥類」が出現しないというケースがあれば、コウモリの生活圏はもっと広がり、その中からコウモリ人間が出現していたという可能性もありうるとは思う。【但し、その惑星の重力にもよる。】 番組の中でも指摘されていたが、
もう1つ、飛べない鳥の出現に関して、 ●食べ物が取れるのであれば飛ばなくてもいいという鳥がたくさんいる。野生の世界でも頑張れば頑張るだけそれなりに良いこともあるが、そのぶん、鳥のようにデメリットもある。デメリットを考えると、よっぽど良いことがないと頑張らない。【鳥の場合、命を奪われる危険があるような環境では「飛ぶ」という行動は継承されるが、飛ばなくても食べ物が獲得でき、かつ外敵から逃げる必要がないのであれば、わざわざ飛ぶことはしない。】 というような指摘があったが【長谷川により改変】、これもまた個体レベルの行動に当てはまる。すなわち、
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