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【連載】 行動分析学用語(第3期分)についての隠居人的独り言(1)「学習の生物学的制約」 日本行動分析学会が6月28日付けで、行動分析学用語(第3期分)についてのパブリックコメントの募集を開始した。第1期分と第2期分のパブリックコメントについては私もいくつか意見を述べさせていただいたところであるが、その後、定年退職と同時にすべての学会を退会し、隠居人となったことによって、もはやコメントを提出する資格を喪失してしまった(※)。ということで、コメントに代えてWeb上の独り言という形でいくつか考えを述べさせていただくことにしたい。 [※]募集詳細に「コメントを提出できるのは、行動分析学会の会員とする。」と規定されているため、私自身は退会直後に提出資格を喪失してしまった。 ちなみに、この用語検討はこちらに述べられているような趣旨で開始された。公認心理師国家試験にあたって学術用語を一定程度整備する必要があることは誰しも認めるところでろう。もっとも、「行動分析学用語」とされている用語の中には他の学界にも広く普及しているものもあるし、行動分析学とは立場を異にする研究者も独自の枠組みの中で類似用語を使っている場合もある。先日も、ある著名な認知心理学者の方から、行動分析学会はいつから「弱化」という用語を使うことになったのか?という問い合わせをいただいたことがあった。心理学全般、あるいは心理学関連領域で広く使われているような用語の調整にあたっては、他分野の専門家を含めた場で調整を図ったほうがよいような気もするが、隠居人の立場としては特に行動することは何もない。 ということで、独り言の第1回目。今回はこのリストの中の「学習の生物学的制約(biological constraints on learning)」について。 この話題は、私が大学院に入った1975年頃から活発に取り上げられるようになり、私自身もいくつかの学会のシンポや研究会で発表させていただいたことがあった。その際、K学院大学の大御所I先生からいただいたご指摘により、発表タイトルの「生物学的」を「生物的」に変更したことがあった。それぞれの生物に備わっていると仮定されている「学習しやすさ」(準備性)は、学問としての「生物学」とは無関係である。生物学という学問があって制約が起こっているわけではないというのがその理由であったと記憶している。 原語の「biological」はあくまで「生物学的」であって「生物的」ではないゆえ、日本語の専門用語だけ「学」を外して「生物的」とすることには異論があるとは思う。とはいえ、「○○学的」という言葉は、現象そのものや、その法則性などに冠するべきではない。「○○学的」がつけられるのは、対象についての研究姿勢、あるいは特定の研究の枠組みから対象を捉えるような場合に限るべきである、というのが私の持論である。いくつか例を挙げれば、
次回に続く。 |