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私自身が主観的に感じる毎月の長さ(内側)。外側は暦上の毎月の日数。↓の記事参照。 |
【連載】 又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」(5)毎月の日数の主観的長さ、1日25時間の生活 昨日に続いて、8月7日放送の又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」の感想・コメント。 昨日の日記で、私の場合、「3歳〜小学校卒業までの9年間」、「中学、高校、大学、大学院、結婚までの18年間」、「結婚から定年退職までの35年間」は、ほぼ同じ長さのように感じると述べた。こうした、物理的な時間と主観的な時間の食い違いは、1月から12月までの各月の主観的な長さにも見られるのではないかと思われる。↑の画像は、私自身が感じる毎月の長さをグラフ化したもので、大ざっぱに言って、3月、5月、8月、9月は物理的な日数に比べて長く感じる。いっぽう、12月から翌年2月までは極めて短く感じる。これは、春休み、GW、夏休みを長く感じることに関係していると思われる。なお、この主観的長さ感覚は小中学校の頃までに形成されたもので、就職して、長期の休みがとれなくなった後、あるいは定年退職により365日ぜんぶが休日となった後でも変わらない。今でも、1年の半分は(物理的な日数で半分に分けられる)7月初めではなく、7月20日頃という感覚は変わらない。 さて、もとの話題に戻るが、番組の終わりのほうで「いまから何億年か前は23時間や22時間の時があった。地球の自転はしだいに遅くなっていくので、放っておくと地球は1日25時間になる。」というような話があった。この「1日25時間あるいはそれ以上」については、私には少なくとも2種類のタイプの体験がある。 1つは、大学院生時代の頃の体験であり、アルバイトや授業などの時間的拘束がなかった時期に、「眠くなるまで論文読み、論文執筆を続ける。眠くなったら、もう眠くないと感じるまで、眠りたいだけ眠る。」という生活を続けたことであった。これにより確かに、1日のサイクルは25〜26時間となったが、これによってどの程度生産性が上がったのかどうかは確認できなかった。また、いくら時間的拘束が無かったと言っても、外食可能な時間帯は昼前から深夜の時間帯に限られているし、真夏の日中は暑すぎて下宿で過ごすことができなかったりして、こういうサイクルを長時間維持することはできなかった。 もう1つは、飛行機で、日本より西にある国々に移動した場合の体験である。例えば昼前に日本を出発すると、日本時間の深夜でも現地ではまだ夕刻ということがある【例えば、ヨーロッパ方面】。本来はかなり眠いはずだが、現地がまだ明るいと目が覚めてしまう。またその日にホテルで宿泊すると、日本時間ではもう昼になっているので現地が暗いうちから目が覚めてしまうが、まだ寝ていて構わないと思うと何だか得をした気分になる。もっともこうした時差ボケは2日も経てば解消してしまい、現地の24時間サイクルに順応してしまう。 定年退職後の私は、その気になれば1日25時間や26時間のサイクルで生活することが可能であるが、じっさいは強制されているわけでもないのに、毎朝5時過ぎに起床し、きわめて規則的な毎日を送っている。時間に追われる生活から解放されても、規則的な生活を続けたほうが健康を保てると言うことができそうだ。 次回に続く。 |