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【連載】 又吉直樹のヘウレーカ!「なぜハダカじゃなく服を着るのか?」(3)暑さを凌ぐ服、衣装の変遷 番組の後半では、暑さを凌ぐ工夫としての強制対流の装置を付けた服、湿気を操るハイスペック繊維、世界各地の民族衣装などが紹介された。 強制対流装置は興味深い工夫ではあるが、炎天下で作業をする人たちなど一部の職種を除けば、それほどニーズが無いようにも思えた。昨日も述べたが、小中高では、仮に制服を定めるとしても、猛暑から厳寒対応の何段階かのスタイルを用意し、個人の体調に合わせて選べるようにすれば良いと思う。 最後の民族衣装に関しては、グローバル化が進むにつれて、どこの国の人もみな同じような服装になっていく気がする。もちろん、それぞれの人たちの好みは多様化しており、特定の国・地域の中でのスタイルはマチマチになっていくいっぽう、その国・地域の文化を反映した独特のスタイルは姿を消していく。 じっさい、私の手元にある1950〜1960年代のモノクロ写真を見ると、当時は日本でも和服を着ている女性が圧倒的に多かった。また、上掲のウズベキスタンの比較写真にも示されているように、1983年当時の女性はカラフルなワンピース形の服を着ている人ばかりであった。もっとスゴいのは1981年頃の中国の人たちの服装であった。要するに経済発展によって、エリア内のファッションは多様化するが、地球全体のファッションはグローバル化によって均一化する(←どの国に行っても同じような服装を見かける)という2つの変化の方向があるようだ。 なお私自身は、率直に言ってファッションには全く興味がない。普段はポロシャツにベスト、作業ズボンで散歩や買い物に出かける。家の中では、今の猛暑の時期であれば、上はランニングシャツ、下は短パンという格好。講義などを担当する時には、ポロシャツの上にブレザー、ウールのズボンとなっている。先日の資源ゴミ回収日に、いままで使っていたネクタイの大部分を廃棄。カッターシャツ類もこの先着る予定が無いので、新品を含めて廃棄(もしくはリサイクル団体に寄付)しようかと思っている。礼服は使う可能性があるが、使うとしたら葬式しかないので、着用しないまま自分が先に死んだほうが気楽でよさそう。 |