じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 8月24日放送のNHK「グレートヒマラヤトレイル「遥かなる天空の道」の最初のほうで、ネパール東部の最奥の村タシガオン(Tashigaon、2100m)の棚田の風景を紹介していた。ネパールの棚田は昨年10月、中国・吉驍ゥらカトマンズに向かう途中で何度か見たことがあった。バナナの木のある亜熱帯地域も通過したことがあり、今回の撮影場所とは異なるが、ほぼ同様の気候を体感したことがあり懐かしく感じた。


2019年8月24日(土)



【連載】

チコちゃんに叱られる!「鳥が卵を温める理由」

 8月23日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」の話題。今回は、
  1. 鳥は、なんで卵を温めるの?
  2. なんで幽霊には足がないの?
  3. 単1・単2の「単」ってなに?
  4. がらんとしているの「がらん」ってなに?
  5. パラリンピックの「パラ」ってなに?
  6. 靴ヒモニュース
という話題(ほかに長嶋監督やガッツ石松の名言(「初めて還暦」、「ギブアップ」、「380度」)、「醤油」の書き取り)などが取り上げられた。なお、チコちゃんの番組は翌日土曜日朝に再放送されることになっていたはずだが、岡山では24日の放送は2018年10月12日(電話の声の高さ、カツオのたたき、運動会)の再放送であった。理由は不明。今回はこのうちの1.を取り上げる。

 まず、1.の鳥の抱卵行動の疑問の正解は、「体が冷えて気持ちがいいから」であった。卵を温めるのは、卵や子どものためではなく(子どもへの愛情でもなく)、親鳥自身のためであるという説明であった。

 こうした視点は、動物の行動の原因を探る大原則に関わるという点で重要である。行動分析学的に言えば、卵を温めるという行動が何によって強化されているのかという説明は、親鳥に温められる卵側にどういうメリットをもたらすのかという説明と区別されなければならない。これは、例えば、人はなぜセックスをしたがるのかという説明と、セックスは子孫を増やすための重要な行為であるという「結果としてもたらされたものにどういう意義があるか」という説明が区別されなければならないのと同様である。

 もちろん、一般に鳥の卵は抱卵されなければ孵化されない。つまり一定の高温を保つことが不可欠である。しかし、親鳥はそのことを知っていて抱卵するわけではない。親鳥の行動はあくまで、親鳥の行動原理によって説明されなければならない(=行動分析学の原理で言えば「その行動が強化されているから」となる)。

 進化的なことは全くの素人なので勝手な推測になるが、恐竜の一部が鳥類に進化した初期の頃は、地温や太陽熱だけで孵化する鳥類が居たに違いない。そのうち、変異によって抱卵行動が強化されるような鳥類が出現する。抱卵する鳥のほうが孵化率が上がるのでより多く繁殖する。結果として今の時代には殆どの鳥が抱卵するようになったと考えるのが妥当である。

 では、親鳥が卵や雛を大切にするのは愛情とは言えないのか? 番組で今泉先生も言っておられたように、
人間の物差しで愛情とか母性とか決めちゃわないで、動物目線で探究していく。そういうものを追い続けることがロマン
という姿勢は、科学的なアプローチの大前提であると言ってよいだろう。

 なお、上記では「抱卵行動は、親鳥のお腹が冷えるという結果によって強化される」というのが正しい説明であると述べたが、鳥類の求愛、営巣、抱卵、給餌といった一連の行動は巨視的な視点で捉える必要もある。個々バラバラに、独立した結果によって強化されていると主張しているわけではない点を念のためおことわりしておく。

 以上の科学的視点に対しては、鳥の愛が全否定されたと嘆く向きもあるようだが、科学的な説明とは別に、童話的、詩的、芸術的な解釈があることは必ずしも否定されてしまったわけではない。科学的な説明というのは、あくまで、現象の予測や制御(影響)として有用なツールでなければならない(かつ、できる限り簡潔で適用範囲の広いものが重宝される)。そのようなツールを構築していく過程で、「愛情」というファクターを含めた理論とそれをそぎ落とした理論が全く同じ程度の予測力・影響力を持つのであれば、結果的に「愛情」というファクターは冗長であって不必要な説明変数ということになる。それだけのことだ。

 いっぽう、子どもの情操教育の上で、動物の子育ての様子を人間行動のアナロジーやメタファーとして説明し、「みんな仲良く暮らしている」とか「お母さんは自分の命をかけて子どもを守ろうとしている」などの事例として活用することはその分野において有用性を発揮しているわけだから、否定されるいわれは無い。心理療法でメタファーを活用する場合も同様である。

 以上の論議との関係で、いつも気になっているのが、NHKで放送されているダーウィンが来た!における説明である。時たま「この親は、こうなることを知っていた」といった擬人的な説明、あるいは、「この行動にはこういう意義がある」といった目的論的な説明で締めくくられることがあるが、上記のようにこうした説明は科学的とは言えない。かといって、詩的描写を目ざしているわけでもあるまい。擬人的、目的論的説明と科学的説明が混在するという中途半端な解釈がまかり通っていることが、今回の抱卵行動の説明に対する「衝撃的反応」や「批判の声」に繋がっているようにも思える。

 次回に続く。