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少し前から生協食堂2階入口に男性の顔写真つきポスターが貼られていた。選挙運動にしては変なところに貼るものだと思ったがよく見ると今年の最低賃金のポスターであった。ネットで検索したところ、このポスターは10月1日の改定に合わせて毎年制作されているが、大きな顔写真の図柄を使う慣例になっているようだ。 でもって今年の男性モデルは何となく岡山市長に似ていると思ったが、某家族からの情報で、松重豊さんであると判明。松重豊さん登場で記憶に残っているのは「松重豊の大シベリア5000キロ〜日本人が知らない餃子ロード〜」という番組であった。ジョージアやモンゴル旅行中に餃子料理が出された時、この番組のことを思い出した【但し、失礼ながら、松重さんのお顔は全く浮かばなかった。】 |
【小さな話題】 「アフリカの少年ブッダ」 夕食時テレビのスイッチを入れたらBS世界のドキュメンタリー「アフリカの少年ブッダ」という番組をやっていた。2019年7月30日の再放送であったようだ。 リンク先の概要紹介によれば アフリカに中華思想を根付かせることを目指し設立された学校では、貧しい農村部から家族が養えない子どもたちを受け入れて中国名を与え、数学などの基礎学習に加えて、仏教や少林寺拳法などの中国文化を徹底的に修練させる。一方で、学生たちの中には、アフリカ的な価値観が排除された教育に疑問を感じ、自分の将来進むべき道に悩みを持つ者も現れている。二つの文化や価値観の狭間で、多感な10代を過ごす少年少女たちの成長物語途中から視たので学校での厳しい生活のことはよく分からなかったが、要するに、仏教団体が信者からの寄付を集めて新興国に学校を設立。十分に教育を受けられない子どもたちを無償で入学させる代わりに、中国語、仏教、中華思想を学ばせ、高校卒業後は台湾に留学させるというような内容であった。 番組紹介文だけを見ると、アフリカ進出めざましい中国が仏教や中華思想まで輸出するようになったのかと思ってしまうが、そもそも中国では新興宗教は禁止されているはず(在来宗教は保護)、と思ったら日本にも関連支部のある台湾系の仏教団体であった。実態についてはよく分からない【←私は無宗教なので、当該団体からの追加情報のご提供はお断りします】。 第一印象としては、本当に新興国の人々のことを考えるならば、布教は抜きにして、医療、農業、工業などに役立つ教育を支援するべきではないかということ。そもそも、信仰は自発的に身につくものであって、教育と引き換えにしても本物の信仰にはならないように思う【かくいう私も、専任職がなかなか見つからずオーバードクター時代が長引いていた時には、採用条件に「クリスチャンであること」と記された大学に採用されるために洗礼を受けようとか、仏教系の大学に採用されるために剃髪しようとか思ったことがあった。】 ま、そうはいっても、過去の歴史においては、物資や医療などの援助と引き換えに布教が行われることが殆どであった。番組でも登場人物が語っていたが、新興国の宗教の大部分は、先進国や力の強い国から持ち込まれたものである。 福島県の細長い県境 同じく夕食時に視た「シブ5時」で、 ●<行け!マッキーの旅>なぜこんな所に?福島県ナゾの県境 という話題を取り上げていた。飯豊山には、福島県に属する幅90cmの道が7.5kmも伸びている。じっさいネット地図で見ると、飯豊山の付近は県境ラインが2本描かれていてその間が福島県内であることが分かるが、地元関係者や登山者以外はまずその存在には気づかないほど細い。 ウィキペディアによれば、その経緯は以下の通り。 明治時代になると、廃藩置県が実施され、それまで会津の一部であった東蒲原郡が福島県から切り離され、奥宮は新潟県東蒲原郡実川村(現・阿賀町)に編入されることとなったが、これに麓宮のある耶麻郡一ノ木村(現・喜多方市)が反発、「飯豊山神社は、奥宮と麓宮で一宮である」として一ノ木村の一部であると主張した。結局、1907年に内務省裁定により飯豊山までの参詣道は一ノ木村の土地となった。現在の、いびつな形の福島・新潟・山形県境はこれに由来する。一度歩いてみたいところだが、番組によれば初心者の単独登山は危険とのこと。荷物も重くなるので私にはもはや登山不可能。 |