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【連載】#又吉直樹のヘウレーカ! 「あなたは何色に見えますか?」(6)日本語の色名の謎(2) 昨日に続いて、10月25日に放送された、 又吉直樹のヘウレーカ! 「あなたは何色に見えますか?」 の感想と考察。 前回考察したように、日本語は
このことを考えるにあたっては、そもそも形容詞とは何かということから確認しておく必要がある。ウィキペディアによれば、形容詞とは、 名詞や動詞と並ぶ主要な品詞の一つで、大小・長短・高低・新旧・好悪・善悪・色などの意味を表し、述語になったりコピュラの補語となったりして人や物に何らかの属性があることを述べ、または名詞を修飾して名詞句の指示対象を限定する機能を持つ。となっていた。また、日本語では、 形容詞には、「新しい」「美しい」「凄まじい」のように連用形の語尾が「しい」又は「じい」で終わる語群と、「大きい」「高い」「広い」のように「い」で終わる語群がある。現代日本語では両者に文法上の違いは無いが、古典日本語では終止形以外の活用形に違いがあった。連用形の形から、それぞれ「シク活用」「ク活用」と呼ぶ。「しい」の部分は伝統的に活用語尾と見なされることから、現代日本語の表記法でも語幹に含めず、送り仮名を送ることになっている。シク活用の語は「楽し」「悲し」「恋し」「恐ろし」など心の動きを表す語が多く、ク活用の語は「赤し」「高し」「暗し」「長し」など事物の性質や状態を表す語が多い。というように「シク活用」「ク活用」がある。 ここからは私の考えになるが、形容詞というのは、同じカテゴリーに属する2つの事物を区別・指示したり、同一の事物の状態・変化を表す時に有用である。もし100種類の事物に固有の名前が付けられており、かつそれらが変化しないならば、100通りの名詞があれば充分であって形容詞は要らない。しかし、同じ種類の事物のうちのどれかを限定する場合には、「大きいほう」とか「赤いのをください」というように、対象を指示することができる。 というように考えてみると、おびただしい数の和色はそれぞれ固有の色名であって、色と名詞が一対一に対応しており、かつ安定している。このような場合、形容詞を使う場面は無いのかもしれない。いっぽう、染色の過程で変化が生じる時には、「濃い」とか「淡い」といった形容詞が必要になるが、これらは必ずしも色名には対応しておらず、さまざまな色とセットで表現できる(「濃い赤」、「淡い青」など)。 なお、語源の研究というと、歴史をさかのぼり、過去の碑文や書物などでの用法を事細かく調べるという方法が一般的であるように思われる。しかし、そうした研究で明らかになるのは、ごく一部の上流階級のあいだの言葉の使われ方であって、一般庶民のしゃべり言葉は何も分からない。例えば、平安時代の農民や漁民の間でどういう色名が使われていたのかというのは、殆ど記録が残らないので解明は難しい。教育を受ける機会も無かったので上流階級に比べると一般的な語彙は遙かに少なかったかもしれないしが、それぞれの職種に応じた生活の必要から、特有の色彩語があったはずである。こうして、一般庶民がよく使う言葉が方言として定着したり、上流階級に広まって文書に現れるようになることも少なくないと思うのだが、日本語学ではどう扱っているのだろうか。 |