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紅葉に囲まれたカンレンボク(旱蓮木)。ウィキペディアによれば、果実や根をはじめ植物全体にカンプトテシン (camptothecin) という抗癌作用のある物質が含まれている。別名は「喜樹」、英名ではCancer tree、Tree of Life、Happy treeなどと、おめでたい名前で呼ばれているが、毒性も強いらしい。 |
【連載】『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』(9)「私とあなた」の世界、「私とモノ」の世界 11月14日に続いて、 針生先生の『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』の感想。 第3章の100ページ以降では、「私とあなた」、「私とモノ」に関する興味深い話題が取り上げられている。生まれて半年ほどになると、赤ちゃんは、渡されたモノを眺めたり、口に持っていったりする行動が生じるようになる。そして、9カ月か10カ月になると、赤ちゃんは、自分の掴んでいるモノを他の人に差し出そうとすることがある。大人の世界では差し出されたモノを受け取るのが普通だが、赤ちゃんは手放そうとはしない。しかしそのうち、赤ちゃんと大人との間で、モノを差し出す、受け取るという「やりもらい」ができるようになる。 本書では、こうした「やりもらい」は、 ●「私とあなた」の世界にモノを参加させよう、あるいは「私とモノ」の世界にあなたもどうぞ ということになるという。またこの頃に指さしがわかり始めるという。 この「やりもらい」は私自身も、かつては自分の子どもたち、最近では孫との間で何度も経験しているが、うーむ、これが、上記の意味であるとは実感できなかった。但し、いずれにせよ、1歳を過ぎてくると、モノを自分に引き寄せて握ったままにするという段階から、相手に渡したり、箱に入れたり、穴に詰め込むというように、自分から離れた場所にモノを移動することができるようになることは確かである。その段階になると、はめ込み型のパズル(いろいろな形の切片を同じ形の穴にはめ込むようなパズル)ができるようになる。 102ページから103ページにかけては、「私とモノ」の世界と「私とあなた」の世界が繋がること、また、相手の視線を追ったり、社会的参照(他者の表情や声などを参考にする)といった行動、そしてモノやトピックを共有するようになっていく過程について説明されていた。 このあたりの段階については、関係フレーム理論の関連書でも取り上げられているが、「一人称としての私」と「二人称としてのあなた(you)」の間の視点取得という印象が非常に強い。いっぽう、本書では、「二人称としてのあなた(you)」が「私とモノ」の世界に繋がることで「一人称複数(we)」化していくと捉えているようにも見える。ここからは私の考えになるが、視点取得(perspective taking)に関する英語文献では、私とあなたという視点を区別することが自立の一歩であり、発達の指標になるという考えが強く反映されているというような印象を拭いきれない。いっぽう、日本あるいは一部の東洋の文化の中では、私とあなたを切り離していくのではなく、私たちという視点の共有を重んじる傾向があり、そのことが発達のプロセスにも反映しているように思われてならない。 不定期ながら次回に続く。 |