Copyright(C)長谷川芳典 |
12月18日現在の「落ちないモミジバフウ(アメリカフウ)」と「落ちないイチョウ」。「落ちない」と言ってもだいぶ落葉が進んでいる。暖冬の年には正月になってもまだ葉をつけていることがあるが今年はどうだろうか。 |
【連載】関係反応と #関係フレーム をどう説明するか(52)専門書、入門書で取り上げられている事例(9)刺激等価性研究(2)音声反応と音声刺激 初期の刺激等価性の実験では「音声刺激」と「音声反応」が混在していたが、これらの扱いは難しい。そもそも「音声反応」は、他のオペラント行動と同列で扱ってよいものだろうか。 まず、こちらの連載にもあるように、人間の言語習得において、音声言語が極めて重要な役割を果たしていることは間違いない。リンク先では、音声言語の発達のみに偏りすぎているのではないかという感想を述べさせていただいたが、反面、音声言語の発達を除外して言語行動を考えることはできない。 また、昨日も指摘したように、文字刺激を提示された時、実験操作がどうあれ、子どもはそのカードに対して音声反応を自発することが多い。なので、例えば ●「りんご」という音声刺激に対して、「リンゴ」、「ブドウ」、「バナナ」と書かれた文字カードのうちの1枚を選ぶ という課題においても、実際には、子どもがカードに書かれた「リンゴ」という文字を読み上げて、先生の喋った「りんご」という音声と、自分が読み上げた「りんご」の音声との一致を確認した上で反応をしている可能性が無いわけではない。 ちなみにこういう可能性は音楽の世界でもありうるように思う。例えば、「ドミソ」、「ドファラ」、「シレソ」と書かれたカードがあり、先生がピアノで「ドミソ」と弾いた時に、一致するカードを選んでもらうという課題があったとする。子どもは「ドミソ」の音に対して、カードの「ドミソ」や「ドファラ」などを発声し、「ドミソ」のカードが一致していることを確認するかもしれない。 ま、何はともあれ、聴覚障がいが無い限り、「音声反応」は常に「音声刺激」を伴うものであり、それにより自分の発音をモニターできるという特徴を持っている。 スキナーの言語行動理論では、「音声反応」は、エコーイック、読字はもとより、マンドやタクトにおける反応としても分類されているが、もしかすると、「書き取り」や「転写」の際にも自分で声を出して筆記しているかもしれない。 ではけっきょく、どう扱えばよいのかということになるが、そもそも、刺激や反応は完全に切り離せるような独立事象ではない。反応は常に刺激を伴うし、反応する中で刺激も変わる。そういう一連の行動の流れの中で、操作可能な部分を切り取って刺激と呼んだり、量的に測定可能な単位を反応として記述することに有用性があるから、刺激や反応という言葉が使われているだけである。 ということで、音声反応はあくまで反応であるが、音声刺激の自己提示と考えれば、刺激間の関係反応の実験には充分に使えるし、むしろ、実験操作や測定として当初は想定されていなかったような独り言を含めて、音声反応の役割をしっかりと分析していくことが大切ではないかと思う。 次回に続く。 |