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【連載】#チコちゃんに叱られる!「お年玉の玉」、「人間が料理をする理由」、「中国地方の中国とは」 1月3日放送のNHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。本日は、
まず5.のお年玉であるが、もともとは「年神様の魂を分け与える」という意味で、家長からお餅が配られていたらしい。お餅の代わりにお金が与えられるようになったのは昭和三十年代の高度成長期以降ということなので、昭和27年生まれの私などは、お年玉としてお金を受け取った最初の世代ということになりそうだ。私の場合は貰ったお年玉はコツコツと貯金しており、大学入学後はそれにアルバイトのお金も加えて、主として旅行資金に充てた。オイルショックの頃の物価高騰によりかなり目減りしたが、年利8.7%の国債、社債、定額貯金などで長期運用したため、物価沈静後はかなりの金額になった。 7.の料理の話題は、もともとは200万年前に火を使うようになり、食べ物を焼いて食べるというのが料理のきっかけ。しかし、より美味しく食べようとするのは、「骨格の変化と二足歩行により、香りが嗅上皮に届きやすくなり、風味を感じやすくなった」ためであるというように説明された。人間は風味を感じる嗅覚が他の動物に比べて突出しているのだという。 確かに人間の料理行動は、単なる栄養補給という結果だけでなく、種々の「美味しさ」つまり特別の風味によって強化されているところがあるようには思う。但し、それを可能にした条件としては、顔が平らになっただけでなく、まずは手を動かして食べ物を加工できるようになったこと、また、食料資源がある程度豊かとなり、食材選択のゆとりができたことも重要ではないかと思う。 余談だが、上記3.の解説者の先生(生理学研究所名誉教授)と、この7.の解説者(明海大学歯学部教授)の先生はどちらも眼鏡をかけておられて、お顔の輪郭、頭髪の状態などうり二つで、同一人物のように見えてしまった。それはそれとして、私は、イルミネーション効果にしても風味追求の料理にしても、生理学的見地から説明できる範囲はきわめて限られていると考えており、あまり納得できていない。 最後の8.は私の住んでいる岡山に関係する疑問であったが、これまで語源について深く考えたことはなかった。番組では、「畿内から西方を見た場合の近国と遠国との中間にあるため」と説明された。但し、その当時の区分けでは、中国地方と言われていたのは、鳥取県西部、岡山県西部、島根県西部、広島県東部、および香川県と徳島県の地域であり、それより東は近国、西は遠国になっていた。また、当時の区分けでは、畿内の東側の福井県東部、石川県、富山県、岐阜県北部、長野県、山梨県、静岡県のあたりも中国と呼ばれていたというが、なぜか現在では使われなくなった。こうしてみてみると、かつて、ある地域が「中国」と呼ばれていたことと、現在の中国地方5県とは著しい違いがあるように見える。なので意味としては「中間にある地方」かもしれないが、いまの中国地方の語源とするには少々無理があるように思う。 いっぽう、現在の中国地方5県の地域名に対応するようになったのは、畿内と太宰府を結ぶ「中国路」に由来しているらしい。 このように考えてみると、奈良時代の頃の「中間の国」が語源であったとしても、実際にいまの5県(岡山、鳥取、広島、島根、山口)を中国地方と呼ぶようになった直接的な原因は別にあるように思う。なお、ウィキペディアでは、呼称の由来や使われ方についてかなり詳しい説明が記されており、最も古くは「葦原中国(あしはらのなかつくに)または豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)が日本全体の名称として登場している」と記されていた。日本の八地方制度の1つとして「中国地方」とされるのは大正時代以降とのことで、その際になぜ「中国地方」という呼称が定着したのかをもう少し調べてみる必要があるかと思う。 |