じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 北九州のウォーキングコース沿いの桜。例年4月上旬に見頃となるようだが、定年退職前は年度初めの繁忙期のため一度も訪れる機会が無かった。
 なお、北九州地区でも新型コロナウイルスの感染が拡大しており、お花見は通り抜けのみ。帰省先では、高齢者や親族とは直接面会せず、連絡はSNS経由、物品の受け取りも留置で行っている。

2020年4月7日(火)



【連載】ABC予想 その1

 新型コロナウイルス関連のニュースが膨大な数にのぼっているせいで注目されにくくなってしまったが、数日前に、ABC予想を宇宙際タイヒミュラー理論で証明した論文が8年越しの査読を経て、数学誌に掲載されることになったというニュースが伝えられていた。

 このABC予想は数学の未解決問題として知られており、これが証明されると、数論における数多の有名な予想や定理が直ちに導かれるという。但し、ウィキペディアに「abc予想がもし早期に証明されていたなら、得られる系という意味での影響はもっと大きかった」と記されているように、いくつかの重要定理は、ABC予想が証明されるまでの間に独立して証明されてしまった(例えば、フェルマーの最終定理)。

 でもって、そもそもABC予想とはどんなものか?ということになるが、ウィキペディアによれば、
a + b = c

を満たす、互いに素な自然数の組 (a, b, c) に対し、積 abc の互いに異なる素因数の積を d と表す。このとき、任意の ε>0 に対して、

cd1+ε

を満たす組 (a, b, c) は高々有限個しか存在しないであろうか?

というのが、予想を要約したもののようである。素人の私でも、いくつかの具体例を通して何を言いたいのかは大体理解できるが、なぜこの予想がそんなに重要な意味を持つのかはさっぱり分からない。また、いくつかの予想は、たった1つの反例で覆されてしまうが、ここにある予想は、どうやら有限か無限かということを議論しているようである。このうち「無限である」という証明は、例えば、素数が無限に存在することの証明というように簡単にできるが、有限であることの証明は、対象の範囲が限定されていない限りは証明はなかなか難しい(←対象が限定されていれば、例えば「素数かつ偶数である数は有限である(2のみ)」という証明は簡単にできる。)

 ま、それはそれとして、リンク先にあった、
自然数 n に対して、n の互いに異なる素因数の積を n根基 (radical) と呼び、rad n と書く。以下に例を挙げる。

  • p素数ならば、rad(p) = p.
  • rad(8) = rad(23) = 2.
  • rad(45) = rad(32 ? 5) = 3 ? 5 = 15.

自然数の組 (a, b, c) で、a + b = c, a < b で、ab互いに素であるものを abc-triple と呼ぶ。大抵の場合は c < rad(abc) が成り立つが、abc予想が主張するのはこれが成り立たない例(例えば、a = 1, b = 8, c = 9 のとき rad(abc) = 6 である)の方である。ただし、c > rad(abc) が成り立つ例も無限に存在するため、rad(abc) を少しだけ大きくすることで例を有限個にできないかどうかを考える。すなわち、abc予想は任意の ε > 0 に対して、次を満たすような自然数の組 (a, b, c)高々有限個しか存在しないであろうと述べている:

という部分はまことに興味深い。単にc<rad(abc)とc>rad(abc)の例を探すだけなら、「どちらも無限にあります」で終わってしまって何の発展もなさそうだが、任意のε>0を持ち出して、一般化にこぎつけたところが素晴らしい。

 ちなみに、上記の「rad」は根基 (radical)と呼ばれるそうである。この訳を行動主義に当てはめれば、「radical behaviorism」は「徹底的行動主義」ではなく「根基行動主義」となる。いずれにせよ、radicalは過激派の意味にはならない。

 不定期ながら次回に続く。