Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大構内・某所にあるスズメの巣。だいぶ以前から、この場所で繁殖している。ツバメと異なり、人間の姿を見ると親鳥は巣から遠ざかる。 |
【連載】#チコちゃんに叱られる! 「ポケットに手を入れる理由」 7月3日に一部地域を除いて放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。ここで「一部地域を除いて」と書いたのは、岡山ではまだ放送されていないからである。原因は、7月3日(金)夜の放送時間は、岡山は別番組を放送していたため、また7月4日(土)朝は、球磨川流域などで大雨・洪水被害が発生したため再放送が中止となった。なので、私自身はNHKプラスで視聴した。ちなみに、NHKプラスでは冒頭で「許諾が得られなかったため、一部映像を編集して配信します。」というメッセージが流れた。実際にカットされたのは、クラウチングスタートに関する映像であったが、なぜネット配信が許諾されなかったのかは不明。 さて、この回は、
番組では、人がポケットに手を入れるのは「不安だから」と説明された。碓井先生は、
以上の「説明」は碓井先生個人の見解という限りにおいては「どうぞご自由に」としか言いようがないが、この番組は青少年にも人気がある。もし上記が、多くの心理学者が支持する代表的な「説明」であるというように誤解されるようではちょっと困ったことになる。少なくとも私は、上記のような「説明」は極めて不十分であり、世俗心理学の域を出ていないと考えている。 上記のうち、1.のセルフタッチングの効用については、特に否定をするつもりはないが、ポケットに手を入れることがセルフタッチングになるのかどうかは甚だ疑わしい。例えばコートのポケットに手をつっこんでも指先が自分の体に触れることはない。 科学的な心理学の立場から説明するのであれば、例えば、人為的に不安にさせられるような状況(例えばお化け屋敷のような場面←但し、不安を与える場合は倫理的な基準をクリアする必要がある)のもとで実験参加者がどれだけポケットに手を入れようとするのかという実験とか、試験会場、合格発表会場などでポケットに手を入れる比率がどこまで高まるのか、といった観察に基づくデータを示す必要がある。上記の3.の「縄張り争い」何とかとか、4.のオキシトシンの話は、セルフタッチングとは関係がない。ということで、今回の「不安だから」は、科学的根拠に基づく説明には至っておらず、民放ワイドショーの「心理学研究家」や「脳科学評論家」などによる「まことしやかな説明」と同様、世俗心理学の域を出ていないと判断せざるを得ない。 では、本当のところ、人はなぜポケットに手を入れるのだろうか? この疑問に答えるにはまずは、地道な観察により、どういう環境場面でどういう人がポケットに手を入れているのか、また文化的な要因、特定個人内での変化(どういう条件のもとてポケットに手を入れるのか、についてデータを集めてからでないと何とも言えない。 ということであくまで推測になるが、まず第1に、単に指先を温めるという効果はあると思う。私の場合、真冬のウォーキング時にポケットに手を入れて歩くことが多い(真冬に不安が高まるからでは決してない)。手袋もあるが、高齢のため、手袋をはめていると爪の根元にささくれができやすいのでポケットに素手を入れたりしている。 第2に、単なる「クセ」の可能性。ポケットに手を入れている時にたまたま良いことが起これば、手を入れる行動は強化される。大相撲力士の立ち合い前のクセ(まわしを叩いたり塩をたくさん撒くなど)や、野球のバッターのクセなども、特定の仕草が偶発的な結果と結びつくことで強化される。 今回の番組に登場した五木ひろしさんのディスクジャケットを見ると、確かにポケットに手を入れている写真が多い。これは「ポケットに手を入れる」ことである種のイメージを与えているためであり、五木ひろしさん御自身のクセというわけではあるまい。五木さんは番組では「貧しかった時に、お金がポケットに入っているかどうかを常に確認するため」、「ポケットに小銭があることで安心する」というように冗談半分に言われていたが、冗談抜きで「小銭のチャリン」が強化因になっている可能性もある。私の場合は、ベストの右のポケットには玄関の鍵を入れて持ち歩いており、時々、ポケットに手を入れてカギの有無を確認することがある。 第3は、社会的な要因である。上記の五木ひろしさんの場合もそうだが、ポケットに手を入れているシーンというのは独特なイメージを形成する。もちろん、学校の朝礼の時間とか、儀礼場面でそんなことをしたら怒られる。どういうイメージになるのかは、文化、時代、文脈によっても異なり、一概には言えない。 次回に続く。 |