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私が子どもの頃に愛読した『世界童話文学全集』(講談社)の一冊、『ドイツ童話集』とその中に収録されていた『雨ひめさま』の挿絵。 |
【連載】60年前の童話全集は孫たちの役に立つか?(2)『雨ひめさま』 昨日の日記に写真を掲載したように、私の書棚には講談社の『世界童話文学全集』が8冊残っている。収録されている童話の中には、すでに別の絵本などで読んだ物語もあれば、この全集で初めて知った物語というものあった。 後者、すなわち、この全集で初めて知った物語の中で、印象に残っているものの1つに、 ドイツ童話集 『雨ひめさま』(テオドール・シュトルム) というのがあった。ネットで検索したところ、『雨ひめさまと火おとこ』というようなタイトルで、何冊か出版されていることが分かった。 この物語の主人公はマーレンという女の子。女の子といっても、この話の終わりのところで結婚するので、14〜15歳くらい(←当時の結婚年齢として推測)くらいかと思うが、その女の子が、日照りの村を救うために、雨ひめさまに会いに行くという冒険譚。女の子が主人公の冒険モノといえば、『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』などがすぐに浮かぶが、この『雨ひめさま』に出てくるマーレンの冒険は、地味ながら、誰の助けも受けずに一人で目的を果たすというところが魅力的と言えよう。この話は、ぜひとも孫たちに読ませたいところだ。 この物語の印象は、詳しさ、挿絵、翻訳表現などによってずいぶんと変わってくるように思う。私自身は、上の画像にあるような挿絵によってイメージが形成されてしまったため、同じタイトルの別の本に描かれている雨姫様やマーレンの絵には非常に違和感を覚える。 物語の中に出てくる呪文についても、翻訳者によってずいぶんと違いがあるようだ。私が読んだ本では、 なみはじょうき いずみはほこりとなっていたが、こちらの方のブログには、2つほど別の訳例が紹介されていた。その中の、 なみはかすみよ いずみはきりよという矢川澄子さんの訳【改行部分は長谷川により改変】は、私の読んだ本より、言葉もリズムも呪文らしくなっているように感じた。 ところで、物語の終わり近く、マーレンが雨姫さまと別れるシーンのところに、 けれども、マーレンはじぷんのそばに、きれいな雨ひめさまが草はらをよこぎってくるのを見ると、じぶんのすがたが、ひゃくしようのふくをきて、みすぼらしく見えたので、このあたりももう少し良い翻訳があるのではないかと思われるが、いずれにせよ、私がこの物語を読んだのは小学校2年生の頃であり、マーレンがなぜ、雨姫さまをボーイフレンドに会わせようとしなかったのか、その理由がよく分からなかったことを覚えている。 ここからは、『世界童話文学全集』全体についての感想になるが、この全集は、所々に上掲の画像のような挿絵、また、わずかながらカラーの口絵がつけられていたものの、殆どの頁は文字のみであり、風景やシーンは自分で想像するほかはなかった。しかし、かえってそのおかげで、自由に思い描くことができ、想像力を大きくかきたてる効果があったように思う。いずれ後述する予定だが、『国際版 少年少女世界童話全集』(小学館)のほうは、すべての頁にカラフルでリアルな絵が載せられており、それはそれで魅力があるといっても、原作のイメージがそれらの絵に引きずられて固定されてしまう可能性が大きいようにも思われる。これは、映画を先に見てから原作を読む場合と同様であり、もはや映画のシーンとは異なる人物像や風景を想像できなくなってしまうことと同じである。 不定期ながら次回に続く。 |