じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 1月10日夕刻、西の空低い位置に木星が輝いていた。この日は、木星の下に水星、木星の右下に土星が接近して見えるはずであったが、空はまだ明るく、またときおり雪雲が通過していて、肉眼での確認は困難であった。

2021年1月11日(月)




【連載】又吉直樹のヘウレーカ!「なぜ人は“空気”を読むのか?」(1)

 2カ月ほど前の放送であるが、2020年11月18日放送の、

又吉直樹のヘウレーカ!「なぜ人は“空気”を読むのか?」

を録画再生で視た。「空気を読む」というタイトルになっていたが、主要な内容は、同調圧力の話題であった。番組の冒頭では「新型コロナウイルスで街が自粛になってからもうだいぶ経ったよねえ。だんだんと人が戻ってきたけれど、世の中の空気はまだまだ変わっていない気がする」という吉村さんのナレーションが流れていたが、このことからみて、この回の番組が作られたのは第2波がいったん収まった8〜9月頃ではないかと推測される。じっさいには番組が放送された11月下旬からは第3波が猛威をふるい、1月11日になってもいっこうに収束する気配が見られていない。

 「空気を読む」というタイトルだったので心理学の話題かと思ったが、解説者は心理学者ではなく倫理学者の児玉聡先生であった。

 「空気を読む」に関連して、山本七平『空気の研究』(1977年)が紹介された。第二次世界大戦中の日本の命運をかけた重大な決定がその場の『空気』で決まっていたことを指摘している。「日本では『空気』が理屈を超えた判断基準になっている」のだ。

 つづいて、倫理学の思考実験として、「親しい友人の意向に合わせて、クラスのひとりを仲間はずれにするか?」、「職場の忘年会で先輩たちから一気飲みをしろと言われたらどうするか?」というテーマが出され、同調圧力の話題となり、続いて、サクラを使ったソロモン・アッシュ同調圧力の実験が紹介されていた。

 ここからは私の感想になるが、まず、「空気を読む」ということが同調圧力の話題に転じてしまったことには違和感があった。「空気を読む」というのは必ずしも周りに流されることではない。例えば、
  • 宴会の最中、話題が途切れてしらけてきた時、それを察して、みんなが面白がるような新たなネタを提供する
  • 議論が堂々巡りとなりいっこうにまとまらなくなった時、それを察して、みんなが賛同できるような新しい提案をする
というのも、空気を読むことにつながるように思う。
 いっぽう、同調圧力というのは、「多数派の無言の圧力を察してそれに従う」場合もあるが、こうしなさい、こうしなければならない、というように明示的に圧力がかかる場合もあるので、別概念ではないだろうか、というのが私の考えである。

 もう1つ、倫理学の先生が社会心理学の実験研究を引用するというのも興味深かった。では、心理学と倫理学はどこが違うのかということになるが、少なくとも私の知っている心理学に関して言えば、心理学は、善とか悪とかを直接論じることはしない。なので、控えめな結論しか出さない。それは堅実であるとも言えるが、ともすれば元の実験の条件をちょっと変えただけの追試に終わってしまって、それも何十年か経つと大した意味をなさなくなるという場合すらある。もちろん、機能的文脈主義のように、「プラグマティズムに基づく真理基準」という考え方もある。いっぽう、倫理学では、過去の偉大な哲学者の思索も引用しながら、もっと根本的なことに言及しようとする。社会全体として、より良い施策を進めたり、バランスを調整する上で、心理学者と倫理学者のどちらが役に立つのかは何とも言えないが、両者が連携し、それぞれの学問の長所・短所を補い合うことで、より有効性の高い提言ができるようになるかもしれない。コロナ禍のもとで、人々の行動変容をどう実現していくのか、という面で真価が問われることになるだろう。

 次回に続く。