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半田山植物園の温室の一角に、割り箸にくっつけたナミアゲハのサナギが10体ほどある。まだ真冬だが、暖かいため、時たま、羽化の様子を観察することができる。 |
【連載】又吉直樹のヘウレーカ!「僕らはみんな“あぶれ者”だった!?」 2020年12月30日に再放送【初回放送は2020年9月16日】された、 又吉直樹のヘウレーカ! #88 「僕らはみんな“あぶれ者”だった!?」 を録画再生で視た。国語辞典(大辞泉)によれば「あぶれ者」とは という意味があり、社会心理学か何かの話かと思ったが、じっさいはニュートリノの話だった。 ちなみに、ニュートリノというと、「New」+「トリノ」だと思いがちだが、多田先生によれば、そうではなくて、「neutr」+「ino」という合成語であり、「neutr」はニュートラル(中性)、「ino」はイタリア語で「小さい」という意味であるそうだ。 ウィキペディアによると、ニュートリノは、素粒子のグループの中の中性レプトンの名称だという。では素粒子とは何か? ウィキペディアには 素粒子はそれが従う統計によって二種類に分類され、フェルミ統計に従う粒子をフェルミ粒子、ボース統計に従う粒子をボース粒子と呼ぶ。現時点で存在が知られているフェルミ粒子はクォークとレプトンとに分類される。一方、現時点で知られているボース素粒子には、素粒子間の相互作用を伝達するゲージ粒子と、素粒子に質量を与えるヒッグス機構に関連して現れるヒッグス粒子とがある。ゲージ粒子のうち、重力を媒介するとされる重力子(グラビトン)は未発見である。と説明されているが、もう何がなにやら分からない。「標準模型で扱うスケールより15桁以上小さいスケール(プランク長スケール)においては、空間が連続的であるか離散的であるかは判明していない。離散的である場合には点粒子として扱えない。」とも記されているが、空間が連続的であるか離散的であるかさえ分からないというから、もはや物とか空間が何か?さえ分からなくなってきた。 番組に戻るが、太陽からは膨大な数ニュートリノが地球に降り注いでおり、私たちの体の中を1秒あたり600兆個も突き抜けているという。しかし反応性に乏しいため、感じられることはない。太陽から来たニュートリノが1回でも地球のどこかに当たる確率は100億分の2【←どのくらいの時間あたりの確率なのかは不明】であり、人間1人だと100年間生きているうちに1回くらい当たるかどうかであるという【←素粒子には大きさが無いとする理論では、そもそも「当たる」という現象は起こらないようにも見える。もっとも数学では、面積を持たない点が重なることはあるが】。 なお、上掲のウィキペディアの説明では、素粒子は大きさが無いとする理論もあると記されているが、2015年にノーベル物理学賞を受賞した梶田先生の紹介記事では「ニュートリノに重さ」があることを証明したとも記されている。よく分からないが、大きさを持たない存在でも、振動とか、ヒッグス何とかとかの働きがあれば質量を持つということだろうか(←というか、質量というのは、物体固有の属性ではなくて、他の何かの働きの中で生じるというものなのかもしれない)。 さて、いよいよ「あぶれ者」の正体に迫ることになるが、その前に理解しておくべきものとして、物質と反物質の関係がある。エネルギーがあると、何もないところから物質と反物質が生まれ(対生成)、そのいっぽう、物質と反物質が出会うと光になって消えてしまう(対消滅)。もし、宇宙に物質と反物質が同じ数だけあったとすると、対消滅によりすべて光となって消えてしまうが、じっさいの宇宙はそうではない。これは、物質のほうが反物質より多い、つまりこの世界は「あぶれ者」となった物質が残ったために存在していると考えられるようである。 番組によれば、宇宙の密度を平均した時の1立方メートルのなかに存在する物質は素粒子の数にして1個分程度、いっぽう、光のほうは10億個も存在しているという。つまり、宇宙が誕生した時は、物質が10億1個、反物質が10億個存在していたが、対消滅によって1個だけがあぶれたという計算になる。 なお、物質のほうが反物質よりちょっとだけ多い理由については、ウィキペディアには、 従来、物質と反物質は鏡のように性質が逆なだけでその寿命を全く同じだと考えられてきた(CP対称性)。だが近年、粒子群の中で「物質と反物質の寿命がほんの少しだけ違う」というものが出てきた。最初はK中間子と反K中間子である。そして、B中間子もはっきりと反B中間子とでは寿命が違うことが確認された。日本の高エネルギー加速器研究機構のBelle検出器による発見である。「反物質の寿命がわずかに短かった」(CP対称性の破れ)。これにより、初期宇宙の混沌の一瞬の間の「物質と反物質の対生成と対消滅」において、ほんのわずかな可能性だが反物質だけが消滅し物質だけが取り残されるケースがあり、無限に近いほどの回数の生成・消滅の果てに、「やがて宇宙は物質だけで構成されるようになった」と説明できる。もちろん多種さまざまな粒子群の中のわずか2つの事例であるが、他の粒子での同様の現象の発見やそもそもの寿命のずれの発生機序が解明されれば、この謎は遠からずすべてが解明されると期待されている。と説明されていた。もっとも、この説明では、物質と反物質は対消滅によって消えてしまうほか、それぞれが固有の寿命を持っているというように読み取れる。寿命を終えるとはどういうことなのかがよく分からない。それはそれとして、いま、多田先生が取り組んでおられる実験によって、この寿命の差が確認できると期待されているらしい。 番組の終わりのところで、多田先生は「物理学の世界は残酷で、最初に発見した人はそれこそ神のように祀られるが、2番目の人らは実験をやめてしまう、意味が無いという。なので1番に勝たないと全く意味が無い。」と言っておられたが、このあたりの競争についてはよく分からないところがあった。別段、特許権争いをしているわけでもないし、宇宙探査などの分野では国際協力も進んでいるというのに、なぜ素粒子の研究だけが先陣争いになってしまっているのだろうか。 以上が番組の感想であるが、物理学の謎については、小学校の頃からずっと興味を持っていた。私自身が死ぬ前にやっておきたいことの1つとして、宇宙や物質についての最新の知見を学ぶ、ということが優先順位の高い項目であることは間違い無い。ま、そうは言っても、もはや、物理学を体系的に学ぶほどの能力はない。せめてできることと言えば、素人にも分かりやすく解説された教養番組などを通じて、「何となく分かった」という気分に浸る程度にとどまることになるかとは思う。 |