じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 クモの網に桜の花びらがひっかかり、この時期限定の花輪が各所に出現している。

2021年4月8日(木)



【小さな話題】歴史秘話ヒストリア「最終回スペシャル」その1

 4月7日に続いて、3月17日に放送された歴史秘話ヒストリアの最終回の感想と考察。

 番組の終わりのところでは、12年間の間に新たに唱えられた、
  1. 本能寺の変のさい、明智光秀は本能寺にはいなかった。鳥羽で指揮をとっていた。【2021年1月4日の朝日新聞記事。江戸時代前期に、加賀藩の兵学者、関屋政治が書いた『乙夜之書物(いつやのかきもの)』による。ウィキペディアにも詳細情報あり。】
  2. 信長はまじめ人間だった。天下布武の「天下」とは、日本全国ではなく、五畿内。また、信長は、上洛に乗じて天下を狙う野望はなかった。比叡山延暦寺の焼き討ちも、1年にわたる交渉が進展せず、比叡山が浅井、朝倉方について中立を守らなかったための攻撃であった。
といった「新説」が紹介された。

 ま、織田信長や明智光秀に限らず、歴史に名をはせた人物の本当の姿を現代人が読み解くことには限界があるし、そもそも、個人が歴史を動かす力というのは、小説やドラマで描かれているほどには大きくない。もちろん、ある支配者が暗殺されたとか、判断を誤って敗戦した、ということはある。個人の影響で数十年程度のスパンでは歴史が変わることもあるとは思うが、最終的には、似たり寄ったりの社会へと移行する。質的心理学の中に複線径路等至性アプローチ(TEA)というのがあるが、個人ではなく、社会の変化についても同じように「複線径路」が「等至」することはありうると思う。要するに、明智光秀が本能寺に居ても居なくても歴史の変化には影響はなく、信長が真面目人間であろうと無かろうと、いずれは、江戸時代のような長期の体制が実現したのではないかと思われる。
 もっとも「複線径路等至性的史観」では小説やドラマはつまらないものになってしまう。個人の活躍を過剰に演出することはフィクションとしてはそれで良いのだが、結果的に、私たちは、そういったフィルターをかけたままで歴史を見てしまうことになる。




 なお、「歴史秘話ヒストリア」の後続番組として、「歴史探偵」という番組が始まったが、初回の「参勤交代」を視た限りではあまり面白くなかった。理由は、
  • 所長役の佐藤二朗さんの「つぶやき」が耳障り。
  • 所長役が単なる聞き手になっていて、所長自らが主体的に疑問を発出し、それに基づいて歴史上の謎に取り組むという内容になっていない。
  • ネタそのものが陳腐であり意外性がない。
といった点にあるかと思う。まだ1回目しか視ていないので何とも言えないが、率直に言って、1年程度で放送終了になりそうな気がする。