【小さな話題】7月に観た映画『アクアマン』『トータル・リコール』『猿の惑星』
7月上旬に録画・再生で観た映画の備忘録。
- 【7月3日放送、日テレ系、『アクアマン』】
2018年。102分【143分を大幅カット】。ストーリーの展開は陳腐であったが、海の中の景色が美しく描かれているところが良かった。妻もほぼ同じ感想。
- 【7月5日放送、NHK-BSP、『トータル・リコール(1990年版)』
1990年。113分。事前に何の情報も得ずに観たため、何が現実で何が夢あるいは植え付けられた記憶なのか、あるいはどっちが正義でどっちが悪なのか見分けがつかず、ハラハラドキドキで最後まで一気に観てしまった。
映画に出てくる「旅行の記憶を売る」というのはなかなか興味深い想定である。我々は限られた空間の中だけでしか体験を重ねることはできないが、どんな体験でも時間が経てば過去の出来事と化し、記憶を通して回想することしかできなくなる。であるならば、実際に旅行をしなくても、その場所を旅行したという記憶さえ埋め込めば、回想の楽しみや懐かしさは実体験の回想と何ら変わらなくなる。これにより旅行費用は不要となるし、旅行先で事故や犯罪に巻き込まれるリスクもなくなる。
もっとも、その記憶があまりにも鮮明であると、何がホンモノで何がニセモノの体験であったのかを見極めることができなくなり、ついには、いったい本当の自分は何者なのかが分からなくなってしまう。認知症の世界も似たようなものかもしれない。
なお、映画は正義の勝利という結末に終わったが、これはあくまで「主人公=正義の味方」という前提に基づく分類であり、反対の立場から見れば、主人公は悪者であり、主人公の敵こそが正義の味方ということになる。
- 【7月6日放送、NHK-BSP、『猿の惑星』】
1968年。112分。高校生の頃、渋谷の映画館で観て以来、何度かTVで視聴したり録画・再生している名作だが、今回初めて気づいたのは、テイラーを初めとする宇宙飛行士たちがなぜこのような無謀な探査に参加したのかという理由であった。宇宙船が不時着したあと生存可能な場所を求めてさまよう途中の会話の中で、彼らの動機がいちおう明らかにされていることが分かった。
猿の惑星の最大の矛盾は、猿の惑星(原題は正確には『類人猿の惑星』という意味)に住む類人猿たちが英語を喋ったり英語の文字を使っていることであり、本来はこの時点で「なぜ彼らは英語を使っているのだろう? ひょっとしてここは未来の地球ではないか?」と気づくはずなのだが、ま、これではストーリーが成り立たない。
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