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ハリガネムシがのたうち回っているのを目撃した【写真上】。こんな細い生物のどこにエネルギーがあるかと思うほど活発に動いていた。ハリガネムシは、路上で轢かれたカマキリの近くで見かけることがたまにあるが、単独で動いているのは初めてであり、どこからやってきたのか謎である。その後、夕方になると、乾燥して固まってしまった【写真下】。 |
【連載】ダーウィンが来た!「選 サバンナのオオカミ 落ちこぼれゼロ教育」の擬人化的説明 8月13日の夕刻に再放送された、表記の番組についての感想・考察。初回放送は2021年6月6日と思われる。録画していなかったが、NHK+で視聴することができた。 「ダーウィンが来た!」は興味深い話題があり、時には世界初になるようなスクープ映像もあって興味深く拝見しているが、難点として、擬人的な説明(←人間ふうの物語に仕立ててしまう傾向)が多いように思う。一般視聴者が興味をいだくように心温まる表現に徹していることは理解できるとしても、動物行動についての科学的説明としてはどうかなあと首をかしげたくなることが度々ある。今回の番組紹介サイトでも 教育上手な両親、じつは、成長の遅い子でも確実に一人前にできる“ある教育システム”を持っている。しかもそれは、家族全員がハッピーになれる一石二鳥の解決策だった!と記されているが、動物が「教育システム」なるものを確立しているとは到底信じられない。おそらく、子育ての過程で親のホルモン(オキシトシンなど)の分泌量が変化し、それによって動機づけ要因も変化し、結果的に「親は子どもを訓練し、子どもが自立した時点で縄張りから追い出す」という働きをしているように見えるのであろう【例えばこちらの文献参照】。これを擬人的に解釈してしまうために、教育システムとか、落ちこぼれゼロ教育といった、人間社会へのアナロジーのような物語になってしまう。視聴者はその物語に感動するが、そのいっぽう、人間ではあり得ないような事態が発生した時には「説明」に窮して困惑してしまう。幼児向けの絵本であれば物語でもよいが、小学校高学年以降の子どもたちに対しては、擬人化された物語とは異なる科学的な説明をしっかり行っていく必要があるように思う。 とはいえ、動物の子育て行動を、行動分析学でいうような強化の原理とか、ホルモンの働きとかで、科学的に説明するというのはそう簡単ではない。今回のキンイロオオカミの事例もまだまだ謎が多いように感じた。 ところで、今回の主人公であるキンイロオオカミだが、そういう野生動物がサバンナに生息しているということは全く知らなかった。番組によると、元々ジャッカルだと勘違いされていたが、最近DNA解析でオオカミの一種と判明し、この名がついたという。ウィキペディアでもまだこの判明には未対応であり、キンイロジャッカルという項目が残るいっぽう、キンイロオオカミという項目は存在していない。但し「キンイロジャッカルの頭蓋骨の形は他のジャッカル類よりもコヨーテやオオカミに似ており、この事実は遺伝的な分析と一致する。」という記述はあった。番組で紹介されていた出典は、2015年に『The Guardian』に掲載された記事: Golden jackal: A new wolf species hiding in plain sight. であり、番組では言及されていなかったが、その基になっているのは、以下のCurrent Biology誌の論文であった。 Koepfli, et al. (2015).Genome-wide Evidence Reveals that African and Eurasian Golden Jackals Are Distinct Species. Current Biology. 25(16), 2158-2165. さて、このキンイロオオカミだが、番組では以下のような興味深い子育てシーンが紹介されていた。
おそらく、
番組では、このあと、
番組の後半では、「留年生」のその後が紹介された。
ということで、結局は「卒業試験」に合格して巣立っていくことになる。そのプロセスは擬人的に表現された物語として十分に感動的であるが、科学的に見れば、縄張りを守りながら生活する野生動物ではありがちの「子育て→自立」のプロセスであるとも言える。番組では「留年生」とされていたが、子どもの一部が縄張りにとどまり育児に携わるという話は、他の種類でも聞いたことがある。縄張りからすべての子どもを追い出すよりも、1頭だけ同居させておいて次の子育てのヘルパーとして従事させるほうが、繁殖戦略として有利に働く可能性が高い。但しこの場合、縄張りの中の食糧資源が不足しないことと同時に、インセストをいかに避けるかという問題が関わってくる。いかにヘルパーとして尽くしても、たいがいは、その子どもが生殖年齢に達する前には、縄張りから追い出されることになるだろう。これらは、「親子の絆」とか「子育ての恩」といった擬人法による物語では決して説明できない。その動物が種として、「縄張り&繁殖」戦略をとっている限りは必然であると言えよう。 |