じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ハリガネムシがのたうち回っているのを目撃した【写真上】。こんな細い生物のどこにエネルギーがあるかと思うほど活発に動いていた。ハリガネムシは、路上で轢かれたカマキリの近くで見かけることがたまにあるが、単独で動いているのは初めてであり、どこからやってきたのか謎である。その後、夕方になると、乾燥して固まってしまった【写真下】。


2021年8月20日(金)



【連載】ダーウィンが来た!「選 サバンナのオオカミ 落ちこぼれゼロ教育」の擬人化的説明

 8月13日の夕刻に再放送された、表記の番組についての感想・考察。初回放送は2021年6月6日と思われる。録画していなかったが、NHK+で視聴することができた。

 「ダーウィンが来た!」は興味深い話題があり、時には世界初になるようなスクープ映像もあって興味深く拝見しているが、難点として、擬人的な説明(←人間ふうの物語に仕立ててしまう傾向)が多いように思う。一般視聴者が興味をいだくように心温まる表現に徹していることは理解できるとしても、動物行動についての科学的説明としてはどうかなあと首をかしげたくなることが度々ある。今回の番組紹介サイトでも
教育上手な両親、じつは、成長の遅い子でも確実に一人前にできる“ある教育システム”を持っている。しかもそれは、家族全員がハッピーになれる一石二鳥の解決策だった!
と記されているが、動物が「教育システム」なるものを確立しているとは到底信じられない。おそらく、子育ての過程で親のホルモン(オキシトシンなど)の分泌量が変化し、それによって動機づけ要因も変化し、結果的に「親は子どもを訓練し、子どもが自立した時点で縄張りから追い出す」という働きをしているように見えるのであろう【例えばこちらの文献参照】。これを擬人的に解釈してしまうために、教育システムとか、落ちこぼれゼロ教育といった、人間社会へのアナロジーのような物語になってしまう。視聴者はその物語に感動するが、そのいっぽう、人間ではあり得ないような事態が発生した時には「説明」に窮して困惑してしまう。幼児向けの絵本であれば物語でもよいが、小学校高学年以降の子どもたちに対しては、擬人化された物語とは異なる科学的な説明をしっかり行っていく必要があるように思う。

 とはいえ、動物の子育て行動を、行動分析学でいうような強化の原理とか、ホルモンの働きとかで、科学的に説明するというのはそう簡単ではない。今回のキンイロオオカミの事例もまだまだ謎が多いように感じた。

 ところで、今回の主人公であるキンイロオオカミだが、そういう野生動物がサバンナに生息しているということは全く知らなかった。番組によると、元々ジャッカルだと勘違いされていたが、最近DNA解析でオオカミの一種と判明し、この名がついたという。ウィキペディアでもまだこの判明には未対応であり、キンイロジャッカルという項目が残るいっぽう、キンイロオオカミという項目は存在していない。但し「キンイロジャッカルの頭蓋骨の形は他のジャッカル類よりもコヨーテやオオカミに似ており、この事実は遺伝的な分析と一致する。」という記述はあった。番組で紹介されていた出典は、2015年に『The Guardian』に掲載された記事:

Golden jackal: A new wolf species hiding in plain sight.

であり、番組では言及されていなかったが、その基になっているのは、以下のCurrent Biology誌の論文であった。

Koepfli, et al. (2015).Genome-wide Evidence Reveals that African and Eurasian Golden Jackals Are Distinct Species. Current Biology. 25(16), 2158-2165.




 さて、このキンイロオオカミだが、番組では以下のような興味深い子育てシーンが紹介されていた。
  • タンザニア・セレンゲティ国立公園に生息するキンイロオオカミは、夫婦で子育てをしている。
  • 獲物は、茂みの中に隠れるネズミ、野ウサギなどの小動物。ジャンプして獲物が動いた音から位置をとらえて捕獲する。
  • ネズミのような小さな獲物はいったん丸呑みし、子どもの前で吐き出して食べさせる。
  • ある程度子どもが育つと、親は、獲物を直接子どもに与えず、代わりに近くの茂みに隠す。子どもは「宝探しゲーム」を通じて獲物をみつける。「自発的な行動を促し、達成感を与えることで食べる喜びを教える」と説明された。
  • 野ウサギを捕まえた親は巣穴に戻らず、巣穴から1kmほど離れたいろいろな場所に肉を隠す。数日後、親は肉を隠した場所に子どもたちを連れて行く。「こうして、新たな食べ物に慣れさせるとともに、食べ物を隠して保存する大切な技を伝える」と説明された。
  • 子どもたちは、そのうち、草むらでジャンプして自分の力でネズミを獲れるようになる。
  • 両親は3匹の子どもたちを草原に連れて行き「テスト」を行う。2匹は元気に動き回るが、1匹はなかなか動こうとしない。合格した2匹の子どもに対しては、親は噛みついたりして縄張りから追い出す。不合格(留年)した子どもには毛づくろいなどをして、そのまま縄張りにとどめさせる。
 ここまでのところで興味深いのは、
  1. 親が、「宝探しゲーム」で、隠した餌を子どもたちに見つけさせる。
  2. 親が子どもたちに「卒業試験」を行い、「合格」した子どもたちを縄張りから追い出す。いっぽう、「不合格」となった子どもを「留年」させ、縄張りの中にとどめる。
という行動である。これらを、擬人化によらずに説明するにはどうすればよいのだろうか?
 おそらく、
  • 1.に関しては、親は、子育て開始からの時間経過によるホルモン低下で、丸呑みした獲物を子どもたちに分け与える行動が起こらなくなり、代わりに、子育てと無関係に、本来の習性である「獲物を隠して保存する」という行動だけが起こるようになる。親はその後、隠した餌を食べに行くが、餌を貰えなくなった子どもたちも一緒についていって、偶然、自分で餌を見つける。このことは結果的に、子どもが餌を探す行動を促すことになるが、別段、子どもの教育を意図してそうしたわけではない。
  • 2.に関しては、子どもがある程度成長すると、それに反比例してオキシトシンなどのホルモンが低下する。そうすると、縄張り内への侵入者を追い出すという本来の習性から、子どもたちも邪魔者に含まれるようになる。追い出しの対象は、自分で餌を獲れる個体や勝手にマーキングをする個体のすべてであり、それが自分の子どもであるかどうかは斟酌されない。但し、自分で餌が獲れない未成熟の個体に対してはそうした排除行動は抑制される。要するに、子どもの将来を心配して留年させたのではなく、追い出す行動が抑制されたことで結果的に縄張りの中への居残りが許されただけのことであろう。
といった可能性があるのではないかと思われる。




 番組では、このあと、
  • フォークランド諸島のジェンツー・ペンギンの親は、海から1.5kmも離れた内陸の繁殖地まで餌を運ぶ。親は子どもの前で走り出し、子どもに追いかけさせることで、子どもの走る力を猛特訓している。
  • 北海道・霧多布岬のラッコは、石のとがった部分を貝殻にぶつけてホッキ貝を食べる。子どものラッコは、親の行動を見真似ながらそのコツを教わる。
  • アフリカ・カラハリ砂漠のミーアキャットは、毒針を避けながらサソリを食べる。親は、(1)まず死んだサソリを子に与えて味を覚えさせる。(2)毒針を取り除いた、生きたサソリを与える。(3)毒針がついたままのサソリに挑戦させる。この段階をふんだ丁寧な指導により、子どもは2カ月ほどでサソリ狩りをマスターする。
 番組では「いやー、教育ってどこの世界でも大変なんですねえ」とまとめていたが、うーむ、これらの動物たちの「教育」を擬人化せずに説明するとしたらどうすればいいのだろうか。




 番組の後半では、「留年生」のその後が紹介された。
  • 「留年生」となった子どもは、親と一緒に縄張りを動き回るが、所々でマーキングする両親とは異なり、子どもは決してマーキングしないという。その後、次の赤ちゃんたちが生まれると、「留年生」は、巣穴から飛び出した赤ちゃんを連れ戻すなどヘルパーとしての役割を果たす。親が獲物をくわえて帰ってきた時には、留年生はその肉を食べることが許されない(自分で昆虫などを食べる)。その後も、親とじゃれ合ったりして狩りの俊敏さを鍛える。
  • 「留年生」はその後、親が隠した肉を横取りしたり、親の縄張りに自分でマーキングするなど、反抗的な態度を見せるようになり、ついには縄張りから追い出されて自立していく。


 ということで、結局は「卒業試験」に合格して巣立っていくことになる。そのプロセスは擬人的に表現された物語として十分に感動的であるが、科学的に見れば、縄張りを守りながら生活する野生動物ではありがちの「子育て→自立」のプロセスであるとも言える。番組では「留年生」とされていたが、子どもの一部が縄張りにとどまり育児に携わるという話は、他の種類でも聞いたことがある。縄張りからすべての子どもを追い出すよりも、1頭だけ同居させておいて次の子育てのヘルパーとして従事させるほうが、繁殖戦略として有利に働く可能性が高い。但しこの場合、縄張りの中の食糧資源が不足しないことと同時に、インセストをいかに避けるかという問題が関わってくる。いかにヘルパーとして尽くしても、たいがいは、その子どもが生殖年齢に達する前には、縄張りから追い出されることになるだろう。これらは、「親子の絆」とか「子育ての恩」といった擬人法による物語では決して説明できない。その動物が種として、「縄張り&繁殖」戦略をとっている限りは必然であると言えよう。