Copyright(C)長谷川芳典 |
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画像補正(加工?)ソフトにより修正したチョモランマと後楽園・延養亭から眺める風景。 チョモランマの写真では、山肌の細部が精細化できた。いっぽう後楽園の庭園の写真では通行人のほか、なぜか手前の石の一部が消去されてしまった。Zの画像は鮮やかすぎてウソっぽいが、ゆっくり眺める風景としてはこれがいちばん美しいように思う。 |
【連載】パソコンソフトで「じぶん更新」(6)「フォト消しゴム」「ピンボケ補正」 11月9日に続いて、新規に購入したパソコンソフトの話題。
ということで、ポイントやくじ引きの当選に誘惑されて、またまた画像補正(加工?)関連のソフトを買ってしまった。これで、
ところでこうしたソフトを使って写真を補正(加工?)については批判的な声もあるようだ。なかには、Twitterに投稿の紅葉写真、“加工しすぎ”で謝罪 ゼンリン「誤解を招いた」というような記事もあった。 写真の加工がどこまで許容できるのかは、目的によって大きく異なるように思う。
もともと人間の目で眺めた時の景色では、視線を明るい対象に向けた時と暗い対象に向けた時で瞳孔を調整しているので、上掲の比較写真で言えば補正後の景色のように見えているはずだ。人間の目で眺める景色も、写真で撮った景色も、本当の事物から発せられる光線の一部を読み取っただけであって、これが真実でこれはウソというような区別はできない。表示された写真画像からどういう世界を実感できるのか、というのが写真の価値ではないかと思っている。というのが私の基本的な考え方である。今回購入したピント調整なども同様であり、私のような強度の老眼者は別として、普通は近くの景色を見る時と遠くの景色を見る時では眼のレンズが膨らんだり薄くなったりしてちゃんとピントが調整される。しかし2次元的に表示された写真では、一定の距離の範囲はくっきりと見えていて、それから外れた景色はぼんやりとしか写らないのが当たり前である。その部分のピント調整をするというのは、人間の眼の実際の見え方に近づけているだけであって、必ずしも加工ということにはならないように思う。 また色や鮮やかさの知覚には個体差があり、何が真実かということは決定できない。ヒューマニエンスでも取り上げられていたが、人の色覚には2色型と3色型がありその間は連続的(グラデーションあり)と考えられているようだ。ゴッホは2色型ではないかとされているし、原色の鮮やかな絵を描く画家は、おそらく普通の人よりも鮮やかな色を感じているはずだ。 私自身は3色型だが、色の鮮やかさにはどうやら鈍感のようだ。じっさい、ソメイヨシノの花は白っぽく、また、日光が直接反射するモミジの葉は茶褐色に見えていて、あまり美しいと感じたことはない。上掲の写真Zのように、写真に撮って鮮やかさを強調した時に、初めて美しいと感じることがある。 |