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【連載】瞑想でたどる仏教(27)スポーツと仏教/マインドフルネス瞑想(1) 昨日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、 ●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する のメモと考察。 第6回目の放送では、為末さんがご自身の体験知のきっかけについて語る場面があった。これは、仏教は瞑想という「体験」を通じて教えを伝えてきたが、スポーツ選手の場合はどうか? 為末さんは、子どもの頃からコーチに「コントロールできないことはやるな、今できることに集中せよ」と言われてきたが、北京オリンピックの予選の時に、突然「いまやることをやるしかない」とひらめいた。水がずっと温められてきて突然沸騰するという量から質への転化が起こるように、長年言われていたことが蓄積して、ある場面で突然、雷が落ちるように腑に落ちる体験をされたという。 私自身はそんなに大した努力はしていないが、本を読んだりWeb日記を書き続けている中で、長年疑問に思っていたことが、ある日とつぜん「あっ、そういうことだったのか」と腑に落ちるということはいくつかある。但し、それを体験値と言えるかどうかは定かではない。 なお、この番組では「走る哲学者」とも呼ばれる為末さんが出演されていたが、私が素朴な疑問として思うのは、どういうスポーツ競技がどこまで自己修養に役立つのかという点である。仏教の精神から言えば、おそらく、オリンピックに出場し金メダルを獲得するというようなことを目指して励むのは本筋とは言えない。優勝してもしなくても、あるいは途中で怪我をして引退に追い込まれたとしても、それまでの鍛錬の積み重ねを活かすことが重要であると思うのだが、世間はなかなかそれを許してくれない。かつての旧ソ連や旧東ドイツでは、スポーツ選手は国家の宣伝の道具として利用されてきたし、今の時代では、企業の宣伝のための商品として利用されている。現役選手として活躍する限りにおいては、スポーツ本来のあり方を追求するのは難しいような気がしてならない。 放送では続いて、「仏教の瞑想は今、形を変えながら、私たちの生活にも活かされようとしています」として、マインドフルネスの研究が紹介された。 最初に登場したのは、日本マインドフルネス学会の理事長・越川房子先生の研究室であり、
なお日本マインドフルネス学会の組織のところを見ると、他団体連携委員の理事として蓑輪顕量先生のお名前が含まれていることに気づく。 次回に続く。 |