【連載】『まいにち養老先生、ときどき… 2022冬』その1「当たり前」「なりゆき」
養老先生の番組はこちらに連載としてまとめているが、2021年12月29日の『2021秋』は回想シーンが多かったせいか、特に感想として記すべき話題は見つからなかった。『2022 冬』はその後の2022年3月26日に初回放送されたものであるが、いくつか参考にさせていただけそうなエピソードや名言があったのでここにまとめておく。
- 「当たり前」を論じるためにはどういう視点に立って言うか、その「当たり前」が当たり前である世界から離れていないといけない。その中にいて当たり前を論じるのはいちばん難しい。《先生はその中から出たということですか?》 いつも“塀の上”と言っている。世間の塀の上にいると中へ落ちれば世間の中、外へ落ちれば世間とは無関係になる。その立ち位置が難しい。
人々は殆どの場合、当たり前の出来事を基にしたメタファーで納得をする。論理的帰結や証拠も大事だが、最終的な納得はメタファーに頼らざるを得ない。「XがYであるのは、AがBであるのと同じだ」と言われた時に、「AがBである」が当たり前の出来事であり、かつ「同じだ」という関係づけにそれなりの整合性があれば、「なるほど、だからXはYなのね」と納得してしまう。このことからみても、「当たり前」そのものを論じるのはなかなか難しい。“塀の上”という立ち位置が可能かどうか、私には何とも言えないが、多くの場合、世間の中と外は刑務所やかつてのベルリンの壁のように厳密に仕切られたものではなくて、出たり入ったりできるものではないかと思う【←「壁」もまたメタファー】。
- 「麒麟も老いては駑馬に劣る」という言い方があるが、頼朝はあんまり長生きしなかったからよかったんじゃないか。平家物語だと30歳くらいで見るべきほどのものは見つと言っているんだから。...人生をまとめて言うとなんだろう? 出てきた結論が「なりゆき」。ひとりでにそうなったとか、いつの間にそうなったという
「なりゆき」については、後半の茂木健一郎さんとの会話のなかで、養老先生は「世の中をよく変えよう」とかいいう発言は全然されない、それはなぜですかと指摘したことに対して「成るべくして成っているから 物事は」とも答えておられた。
私自身も、少なくとも自分の人生の終わり方については「なりゆき」に委ねるほかはないと思っているが、同じ「なりゆき」でも、「何もせずに迎える成り行き」と「できることはやり尽くした上での成り行き」では違ってくるように思う。例えば、どんなに健康維持・増進につとめたとしても、癌になる場合もあれば、早期に老化が進む場合もある。そのこと自体はジタバタしても避けることはできないのだが、無理にならない範囲で、できることはやっておいてもいいと思う。私の場合はウォーキング、規則的な生活、食事のバランスへの配慮程度にすぎないが。
養老先生のご発言の中で唯一絶対に受け入れられないのは喫煙についてのお考えであるが、喫煙習慣などは「なりゆき」に任せていたら確実にニコチン依存に陥ってしまう。禁煙はなりゆきだけでは決して実現しない。
次回に続く。
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