じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 岡大農場と半田山の新緑。土砂崩れでえぐられた斜面は復旧工事が完了しても元には戻りそうにもない。

2022年4月28日(木)



【連載】abc予想証明をめぐる数奇な物語(9)「同じものでもあるし、同時に異なるものでもある」

 昨日に続いて、

NHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語【ブログ後編はこちら

についての感想と考察。
 望月博士の戦略は、「かけ算だけが成立する世界を作り「abc予想」を証明するという、これまでに無かったアプローチであったが、数学者たちの間で受け止めはマチマチであったという。2015年12月にイギリス・オックスフォードで望月理論を徹底的に議論しようという国際会議が開かれた【望月博士自身は京都からのリモート参加】。そこには望月が正しいと考える数学者たちと疑念をいだく数学者たちが集まっていたが、理解が追いつかないままで、証明の核心に迫ることはできなかった。疑念をいだく数学者からの質問の多くは、望月が前提とする数学の基本的なことを繰り返し尋ねるものであったという。それは宇宙際タイヒミューラー理論が出発点とした2つの数学世界であり、2つが全く同じであり同時に異なるという矛盾した論理であり、多くの数学者たちには理解しがたいものであった。デイビッド・ロバーツ博士(アデレード大学)は、このことについて、
望月の理論で奇妙なのは、まず全く同じものだと言いながら、次にそれらを完全に異なるものとして扱う点です。数学では、同じと見なせるものは同じとするのが原理原則です。私はためしに、同じでありながら同時に異なるものなんてあり得るのか真剣に考えてみましたよ。いやいやそんなこと絶対無理ですよね。
この国際会議は5日間に及んだが、証明の核心に迫れないままで終わった。

 2018年3月、この年のフィールズ賞を受賞したペーター・ショルツ(ショルツェ)博士(ボン大学)が来日し、5日間にわたって望月博士と議論をたたかわせた。そこでショルツ博士が問題にしたのはやはり「2つの数学世界」という前提であり、テイラー・デュピー博士(バーモンド大学)は議論の中身を、
あなたがあるものを持っていて「それはこれと同じものでもあるし、また同時に異なるものでもある」と言ったとします。ショルツたちは、それは「2が4と等しい」と言っているようなもので、そんなことを言えば数学は破綻すると主張したのです。
というように伝えていた。けっきょくそこで行われた議論は、望月博士の証明の核心には向かわず、いわば数学とはどうあるべきかを問うものになっていったという。

 その後、数学界の一部では、望月博士の論文を理解しようとせず、あの天才のショルツ博士が理解できないとしたことについてはこれ以上格闘しなくてよい、という雰囲気が生まれた。2人の会談のあと、ネット上では誹謗中傷の書き込み行われるようになり、ショルツ博士自身は、「自分には他にやるべき数学があるからもう関わりたくない」として、この議論から離れた。望月理論に疑念がいだかれる一因は、論文が自身の所属する京都大学数理解析研究所の専門誌に掲載されたことにあるという。そのため、査読が十分には行われなかったという批判まで流布されたという。

 放送(完全版)の終わりのあたりで、加藤文元博士(東京工業大学)は、
これは私の意見ですけれど、数学的な意味で(証明に)何かギャップがあるとか、正しさにちょっと曇りがあるとか、ということでは決して無い。例えばIUT(宇宙際タイヒミューラー理論)を信じない人たちは、「でもIUTを理解してると言ってる人たちも説明できてないじゃないか」というとこう来るのですが、でもそういう問題じゃないんですよね。そこが難しさがやっぱりあって、今回の場合やはり、対象に関する認識論の違いだと思う。
と語っておられた。これまでの数学は、異なるものを同じと見なすという形で発展してきたが、加藤文元博士によれば、このやり方はヒトが日常生活の中でじっさいに物事を認識する時のやり方とは異なっている。人間の思考は2つのモノを同じモノだと認識することもあれば全く違うものだと考えることもあるという、いわば矛盾を包み込む高い柔軟性を持っている。だから数学もそうした柔軟な形へと進化する道があってもいいのではないか、とまとめられた。

 次回に続く。