じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 新型コロナの感染が落ち着いていることと、ワクチンをすでに3回接種していることから、そろそろ近隣の日帰り温泉(スーパー銭湯)に出かけようかと思って検索したところ、少なくとも1箇所が閉館、1箇所が無期限休業となっていることが分かった。
 画像上は大浴場のほかに岩盤浴もできる施設であったが、2020年12月末で閉館。Googleのストリートビューでは、解体工事が行われていた。
 画像下は宿泊施設のほうは営業中だが、日帰り温泉のみ無期限休業となっているようだ。塩サウナが気に入っていたが、老朽化しているように見えた。

2022年5月27日(金)



【連載】プロジェクトX4Kリストア版『宅急便』、『国産複写機』の開発とコピー機の思い出

 昨日に続いて、NHK-BSPで、4Kリストア版として再放送されているプロジェクトXの話題。本日は、4月以降5月上旬までに視聴した4回分のうち、1.と2.について取り上げる。
  1. #54【2001年5月29日初回放送】腕と度胸のトラック便:ヤマト運輸の宅急便
  2. #101【2002年11月5日初回放送】突破せよ 最強特許網 新コピー機誕生:キヤノンの完全国産複写機
  3. #64【2001年9月4日初回放送】逆転 田舎工場 世界を制す〜クオーツ・革命の腕時計〜:諏訪精工舎(現:セイコーエプソン)の クォーツ式腕時計(アストロン)
  4. #97【2002年9月17日初回放送】革命トイレ、市場を制す:東陶機器(現:TOTO)のウォッシュレット

 まず1.の『腕と度胸のトラック便』については、2001年5月29日の日記で感想を述べたことがあるが、21年ぶりの視聴ということで記憶がかなり薄れていた。
 1つ記憶違いだったのは、北海道で荷物をかついで山奥の集落まで届けるというエピソードであった。私は、この荷物は時間通りに届けられたものを思っていたが、改めて視聴したところ、途中で引き返したという内容であった。もっとも配達できなかったのは一度だけであり、荷物を担ぐ時のリュックは今でも大切に保管されているという話であった。




 続く2.のコピー機の話題だが、放送では、1959年にニューヨークで開かれたナショナル・ビジネス・ショーに、田中宏さんが複写機を持ち込んだところから始まった。その複写機は、特殊な印画紙に図面を写し取るという方式であったが、会場ではXerox914という世界初の普通紙複写機が登場していた。原理を考えたのは天才発明家と言われたチェスター・カールソン氏。この頃日本国内ではカメラ市場が行き詰まっていたころから、生き残りをかけて国産複写機の開発に取り組んだ。しかし元祖のXerox社は300件の特許を有しており、それを侵害すれば莫大な賠償金を取られる。さまざまな困難を克服し、NP-1100という国産複写機が発売されたのは1970年9月であった。しかしゼロックス社の力は強大で、実際に製品には使われていない特許まで持ち出して争う姿勢を示した。ゼロックス社の特許は「感光体と光をあてる」という技術でありこれには「同時にあてる」も含んでおり、CANONの「同時にあてる」方式は侵害になるというものであった。これに対して、実際にはゼロックス社の方式では同時にあてても画像は出ず、CANONの特許は取り消されなかった。その後、日本メーカーの生産台数は300万台を超え、アメリカを抜いて世界一の複写機大国になったという。田中宏さんは、その後アメリカの学会からカールソン賞を受賞した。カールソンという名前は、かつてゼロックス社にコピー機の原理を提供したチェスター・カールソン氏であった。また、CANONは、アメリカで1987年には846件の特許を取得し、なみいる世界企業を抑えて頂点に立ったという。

 ここで思い出話になるが、私自身がコピー機を初めて使ったのは高校生(1968.4〜1971.3)の頃であったと思うが、当時はコピーができる場所が限られており、しかも高価であったため、勉強に利用するのは困難であった。大学入学後の文献のコピーは普通紙ではなく感熱紙のみであり特有の匂いがした。いっぽう、研究発表の際のレジュメは「青焼き」(ジアゾ式)であった。いつ頃から普通紙コピーに切り替わったのかは覚えていないが、卒論提出の際にはゼロックスでコピーをとっていた。

 ネットで検索したところ、
  • 業務用複合機の稼働台数の国内シェア:富士ゼロックス30.3%、リコー28.0%、キヤノン18.1%
  • 出荷台数の世界シェア:「米ゼロックス+富士ゼロックス」17%、リコー17%、キヤノン17%、コニカミノルタ15%
などとなっていた。機種や、「買取vsリース」といった分類の違いによりシェアの数値は変動するが、日本のメーカーが圧倒していることは確かなようである。キヤノンを上回るリコーがどのような経緯でシェアを広げたのかは不明だが、ウィキペディアによれば、リコーは「1936年2月6日に、理化学研究所で開発された複写機用感光紙「理研陽画感光紙」の製造販売の目的で理化学興業から独立し、「理研感光紙株式会社」として東京・銀座に設立された。」ということなので、コピー機とのかかわりについてはキヤノンよりも長い歴史があるようだ。

 コピー機は大学での授業や委員会資料などに不可欠であるため、私自身も大学生だった1971年以降50年以上にわたってコピー機のお世話になってきた。いくつか思ったことを挙げてみると、
  1. モノクロコピー機の読み取り性能は殆ど向上していないように思われる。というか、普通紙コピー機が登場した時点で完成度が高く、文字や図面を読み取る上では支障が無かった。
  2. モノクロのコピー代金は、1枚5円〜20円程度で殆ど変わっていない。トナーや紙のコストが安定しているためだろうか。
  3. 大学の印刷室では、コストとスピードの関係で、同じ文書・教材を50部以上印刷する場合には輪転機、20部以内の時は複写機を使い分けるようにしていたが、コピー機でも同じ文書の大量印刷が高速でできるようになってきた。
  4. 定年退職の数年前頃(2015年頃)からは、ペーパーレス化が進み、印刷媒体の配布が激減した。
  5. コピー機のほうも、印刷せず、スキャナ機能のみでPDFファイルとしてUSBメモリなどに保存することが多くなった。
  6. カラーコピー機やカラープリンターの機能はかなり向上し、カラープリント写真と同等レベルに達しているが、個人で使用するにはランニングコストがかかりすぎ。また上記と同様で、ペーパーレス化が進めば進むほどニーズが減っているように思われる。
ということで、私自身がコピー機やプリンターを使うことは殆ど無くなった。じっさい、PDF化した文書ファイルは、(OCRの性能にもよるが)テキストファイルとしてコピー&ペーストもできるし、機械音声での読み上げも可能。さらに書き込み、アンダーラインなどの挿入もできるしその削除もできる。紙媒体の印刷物はこれらができないことに加えて、整理・保管も面倒であるし、いずれボロボロになっていく。ということで、ペーパーレス化が進めば進むほど、コピー機の需要はどんどん減っていくのではないだろうか。