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【小さな話題】ブラタモリ「スカイツリー」 10月8日に初回放送された、 ●NHK総合 ブラタモリ「東京スカイツリー〜なぜここにスカイツリーは立っている?〜」 番組冒頭で「開業から10年でなんと4000万人が訪れました」と紹介されていたが、遅ればせながら私も今年の6月下旬に生涯一度のスカイツリーを訪れたばかりであり、興味深く拝見した。 放送ではまず。隅田川の墨堤(ぼくてい)付近がクランク状になっている理由が説明された。放送では特に言及されなかったが、鳩の街はかつては赤線地帯として発展し、小説や戯曲に取り上げられたことがあった。鳩の街はかつて川が流れており、隅田川は二股に分かれていた。スカイツリーのある場所は、土砂が堆積した微高地であり開発しやすい場所であったという。またすぐ近くを流れる運河「北十間川」は、それより南側の運河がすべて直線状であるのに対して曲がっている。これはかつての海岸線の名残であったためと説明された。押上という地名も「波が押し上げた土地」が由来となっている。 ここで、下町の低湿地帯になぜ巨大なタワーが立てられるのかという疑問が生じる。スカイツリーの立っている場所と、2.6km東の亀戸水神駅のある場所の地下を比較すると、硬い砂礫層までの深さは、スカイツリーでは30mであるのに対して、亀戸水神駅は60mとなっている。スカイツリーは、杭を打つ場所としては奇跡の立地であったと説明された。 スカイツリーが立っている敷地には、もともと東武鉄道の貨物ヤードがあった。もともとこの場所は吾妻橋駅があった。東武鉄道はそこから西方向に延伸して都心への乗り入れを計画していたが、西側の隅田川左岸には水戸藩の大名屋敷があり関東大震災のあとは公園となったため延伸できなかった。その代わりに重視していた亀戸経由、旧・総武鉄道は国有化されたため亀戸以西には乗り入れできなくなった。そこで東武は、吾妻橋駅に隣接した北十間川に船着き場を建設した。当時は賑わったものの、戦後は水運が衰退し、敷地だけ残ったことがスカイツリー建設に繋がったという。船渠に使われた護岸石はスカイツリーの広場に使われている。 放送では続いてスカイツリーの構造が説明された。
なお、番組冒頭のところで、スカイツリーの周辺の6本の通りがまるでスカイツリーを目ざすように伸びているという話題があったが、なぜそのような配置になったのかは、私が視聴した限りでは特に説明されなかった。 ここからは私の感想・考察になるが、まず、ウィキペディアによれば、東京スカイツリー建設の経緯は以下のように要約できる【長谷川により要約・改変あり】。
このWeb日記は1997年から執筆しているが、スカイツリー関連の話題は私の関心事にはならず、殆ど取り上げたことが無かった。ざっと検索したところ、スカイツリー営業開始の2012年5月22日の日記で「スカイツリーより高い所から東京を見下ろす方法」を取り上げた記事しかヒットしなかった。名称選定については「スカイツリー」には違和感があり、別の名称を支持していたように記憶しているが、どこに書いたのかは覚えていない。 営業開始の頃はスカイツリー周辺は大混雑しており、展望台まで登るには何時間も待たされる可能性があった。また、飛行機からでも似たような景色が眺められたことから、たまに上京してもわざわざ登ってみようとは思ったことがなかった。今年の6月に急遽登ってみようかということになったのは、
なお、スカイツリーには「天望デッキ」(350m)と天望回廊(450m)という2つの展望台があるが、私が訪れた限りでは、見える景色は大差無い。天望デッキだけでも十分であるように思われる。あと、ネット上にはチケット購入の情報がいろいろあるが、企業によっては福利厚生事業の一環として割り引きクーポンを発行しているところがあり、家族全員が割安のチケットを入手できる場合がある。私が入場した時も、かなり安く、しかも当日売の長蛇の列に並ぶ必要なく、さらにチーズケーキのプレゼントのついた入場券を手に入れることができた。 |