じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 11月20日は、北九州・八幡東区の猪倉から河内貯水池、さらに板櫃川沿いを大蔵まで歩いた。
 猪倉の一番山奥の集落は何度か訪れたことがあるが、河内貯水池方面まで向かう道が分からず、竹林や茂みに遮られて立ち往生、やむを得ず引き返すばかりであった。
 今回は幸い、農作業中の年配の男性に登山道の入り口への分岐を教えてもらい、また途中で河内方面からの登山者とすれ違ったため、無事に貯水池までたどり着くことができた。
 写真上はルートマップ。但し、赤線の部分はGoogleマップのタイムラインには正確な径路が残っておらず不確か。
 中段の写真は登山道への分岐点。左の舗装道を進むと行き止まりで酷い目にあう。右の登山道入り口には道標などは一切取り付けられておらず、これまで分からなかったのも無理はない。
 下段はダム周辺の紅葉。

※詳細なアルバムは帰省から岡山に戻った後、楽天版に掲載する予定。

2022年11月21日(月)



【連載】太陽系の基本知識を更新する(26)冥王星ほか(3)

 昨日に続いて、NHK「コズミックフロント」:

●「冒険者たちが語る 太陽系のヒミツ」

についての備忘録と感想。

 ボイジャー2号が天王星と海王星の探査を行ったことにより、当時は惑星に分類されていた9つの惑星のうち冥王星のみが未探査となった。アメリカで惑星のシリーズ切手が発行された時にも、冥王星のみは「NOT YET EXPLORED」と記された地味な切手になってしまった。
 冥王星はクライド・トンボ−(1906〜1997)による発見がきっかけであった。貧しい農場に生まれたトンボ−は1928年、自動車の中古部品などを使って望遠鏡を制作し観測を始めた。自分をアピールするために、火星と木星のスケッチをローウェル天文台に送ったところ、幸運にもその力量が認められ惑星を探す仕事を任された。放送ではトンボ−本人のインタビュー動画(1997年、亡くなった年))が放送されていた。1930年2月18日、トンボ−は写真の中に移動する天体があることを見つけた。当時大恐慌に見舞われていたアメリカにとっては明るいニュースになったという。
 冥王星への探査計画は、1989年、当時大学院生だったアラン・スターンを中心とした10人ほどのメンバーによる「秘密結社」により始められた。冥王星探査の提案はNASAにも受け入れられ探査計画の検討会が設置されたが、政治的な要求も出されたりしてなかなか進まなかったという。
 これとは別に、デイビッド・シューイットとジェーン・ルーという2人の天文学者が冥王星の周辺にある未知の天体を探していた。当時、土星の内側には多数の小天体があることが分かっていたが、土星の外側では、天王星、海王星、冥王星しか見つかっていなかった。1940年代、海王星の外側に多数の氷の小天体がベルト状に広がっているという仮説(「カイパー・ベルト)が唱えられていたが、あまりにも遠くにあるため確認されていなかった。2人の天文学者による発見の努力は最初の5年間は全くムダに終わった。しかし年々観測機器が向上。1992年8月、ついにアルビオンという氷の天体が確認された。その後次々と小天体が発見され、太陽系は岩石惑星領域、ガス惑星領域に加えて氷の小天体がひしめく第3の領域のあることが分かった。冥王星はその中の最大級の天体であり、NASAは、冥王星を含むカイパー・ベルトの探査を目的とした予算を計上することになった。
 こうしてみると、冥王星は、それが太陽系唯一の未探査の「惑星」であったからというより、カイパー・ベルトの中の最大級の準惑星であればこそ探査の価値があったと言えるかもしれない。
 あと、1960年代の科学本の、
海王星の発見によって天王星の動きの乱れは殆ど説明できるようになったがまだ完全ではない。そこで、ピッカリングやローエルが計算に取りかかった。この計算に基づいて探し出されたのが冥王星。発見者はローエル天文台のトンボー。
という記述であるが、冥王星のような小さな天体が天王星の動きに乱れを生じさせるというのは信じがたい。またトンボ−の冥王星発見の際にピッカリングやローエルの計算に基づく予測が役立ったのかどうかもよく分からない[]。計算に基づいて探し出されたとするなら、もっと速やかに発見されていたはずだ。
]ウィキペディアには「彼は、ローウェルが9番目の惑星があると予測した周辺の星野を丹念に精査し続けた。」と記述されている。

 放送では続いて14年間の取り組みの末「秘密結社」メンバーがNASAのコンペに勝利し、冥王星探査を担当することになる経緯が紹介された。探査機ニュー・ホライゾンズは2006年1月、史上最速の時速58000kmで打ち上げられた。冥王星発見者のトンボ−の遺灰を入れた小瓶や、冥王星が未探査であることを記した切手も搭載されていたという。
 ところが打ち上げ後、惑星の定義をめぐる大論争が巻き起こった。カイパー・ベルトには冥王星以外にも多数の天体が見つかり、2005年には冥王星とほぼ同じ大きさのものまで見つかった。2006年8月の国際天文学連合総会の投票により、冥王星は準惑星に格下げされてしまった。但しそのことは探査計画の妨げにはならなかった。
 ニュー・ホライゾンズは、打ち上げの1年後、木星に接近してスイングバイを行い、その後の8年間という長期間の飛行に備えて、探査機を眠らせて電子機器の消耗を最小限に抑えた。
 2015年7月4日、冥王星に到着する10日前、探査機が冥王星の方向に向けられるためのプログラムの送信を準備していたところ、通信障害が発生、その後1時間で回復したものの、探査機が再起動してしまったため、新たに書き直したプログラムを送る必要が生じた。プログラムの送信は片道9時間も要するため、最大の危機を迎えた。スタッフが昼夜を徹した奮闘により、探査機は無事に写真を送信することができた。

 次回に続く。