じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 11月23日、妻の実家のある北九州では、午前中はまとまった雨が降った。午後にいったん止んだためウォーキングに出かけたが、途中でまた降り出す。
 写真はウォーキングコース沿いの公園で見かけたイチョウの落ち葉の絨毯。岡山に比べると落葉の時期が遅いように思われたが、今回のまとまった雨でかなり落葉した。

2022年11月24日(木)



【連載】ヒューマニエンス「“数字” 世界の秘密を読み解くチカラ」(2)

 昨日に続いて、11月15日に初回放送された、

NHK ニューマニエンス「“数字” 世界の秘密を読み解くチカラ

についてのメモと感想。

 放送の前半では、ピタゴラス数に続いて、「世界を変えた“無”という数字」と題して「ゼロの発見」が取り上げられた。ピタゴラス、アルキメデス、ユークリッドらにより数学が発展していた時代、「ゼロ」はまだ知られていなかった。「ゼロ」が生まれたのはユークリッドの死から900年後、7世紀のインドであった。当時のインドの商人たちは、すべての品物が売れてしまった状態を表す数字として「ゼロ」を発明した。1100年後、「ゼロ」はヨーロッパに伝わり、ライプニッツ(1646〜1716)は2進法を提唱した。2進法は「0」と「1」だけですべての数を表すことができる。その画期的な使い方に気づいたのがアラン・チューリング(1912〜1954)であった。チューリングは、第二次世界大戦の時にナチスの暗合を解読し戦争を2年早く終わらせたと言われている。彼はまた1936年、2進法を用いたコンピュータの原理を提唱した。現在のデジタル社会も2進法にあふれており、文字も音も映像もすべて2進法で表されている。

 人類が数を数え始めたのが2万年も前であったのに対して、「ゼロ」が発明されたのは7世紀になってからでありかなりの年数を要した。出演された上垣先生によれば、数字はもともと記録するのが目的で使われており、インド以外では計算はそろばん(西洋ではアバクス)で行われており、「ゼロ」で表記する必要がなかったためであるという。例えば、インドでは「105」というように「0」が必要であるが、漢数字では「百五」というようにゼロを使わなくても記録することができる。

 このほか放送では、チューリングについてもいくつかのエピソードが語られた。チューリングは同性愛者であり、亡くなった同性の親友の魂を蘇らせることがコンピュータ発明の動機づけになったと言われているという。当時のイギリスでは同性愛は犯罪であったため、チューリング自身はその後、有罪の判決を受けて強制的に女性ホルモン注射の投与を受けたりしていたが、1954年、青酸中毒により死亡。死因審問では自殺を断定されているが、母親は事故死であると主張しているという。なお、チューリングの形態形成と数理生物学に関する功績は、今回の放送の後半で再び取り上げられている。




 ここまでのところでいったん私自身の感想を述べさせていただくが、昨日も述べたように、この回の放送では「数字」と「数の概念」が混在しており分かりにくいところがあった。単に数字としての「ゼロ」であるなら、アラビア数字の「0」の代わりに「零」という漢字を使うことができるし、「零点」とか「零パーセント」と記述することができる。また、そろばんでも、玉の位置を合わせることで、特定のケタがゼロであることは表現可能である。いずれにせよ、「0」という数字自体と、「0」という概念は区別して考える必要があるように思う。

 では「0」という概念の本質は何かということだが、私は、ある演算を■と◆で表した時、aがどんな数であっても

a■0=0■a=a

となり、また、

a◆0=0◆a=0

という性質をもつ数の存在を発明することで数の体系を拡張できたという点が、最も重要な「0」の性質ではないかと考えている。このうち、

a■0=0■a=a
というのは、単位元の定義と同じことになる。この場合、■は加法(足し算)であるが、もし乗法であった場合は「0」ではなく「1」が単位元となる。
 興味深いのは、乗法で、aがどんな数であっても

a◆χ=χ◆a=χ

を満たすことのできるχは、χ=0に限られているという点だ【エックスの小文字xはかけ算と間違えられやすいので、代わりにギリシャ文字の「カイ」を使用。但し表示されるフォントの種類によって逆に見えにくくなるかもしれない】。

 NHK「みんなのうた:たのしいさんすう」の歌詞にもあったと記憶しているが、どんなに大きな数であっても0を掛けるとイッパツで0になってしまうというのはスゴイことだ。




 もう1つ、2進法やコンピュータの原理の話題であるが、これらは必ずしも「0の発明」とは関係が無いように思われた。
 (量子コンピュータは別として)そもそもデジタル表現というのは、何かを2種類の文字や記号で表すということである。その際には、

●●○○○●○...

というように碁石やオセロの白黒の丸い記号であってもよいし、「○、×」でも「T、F」でも、凸凹でも構わない。そこでは「0」という数字や「0」の概念は必ずしも必要とされていない(演算の規則として、「○+○=○」、「○+●=●」、「●+○=●」、「●+●=●【但し繰り上がりあり】」というような手順を定める必要があるが、これらは「0」の概念を必要としていない)。

 次回に続く。