じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 雪雲の影響で日の出や日の入りの瞬間を眺めることができない日が続いていたが、12月23日の夕刻は久しぶりにすっきり晴れて、旧・京山タワーの左側(南側)に沈む夕日を眺めることができた。写真上は、輪のような形の雲と丸い太陽。写真下は日の入り直前の様子。
 なお、日没後には、水星と金星を眺めることもできた。水星と金星は12月29日に最接近するが、29日には同時に月と木星の接近も見られる。このほか12月下旬、夕方の空で、水星から海王星まで、地球以外の全惑星と月を同時に見ることができる。という滅多に無いチャンスが到来している。

2022年12月24日(土)



【連載】ヒューマニエンス「“胃” 生きる喜びを創る臓器」(3)摂食と排泄/「食べない時間」の意義

 昨日に続いて、9月13日に初回放送されたNHKヒューマニエンス

“胃” 生きる喜びを創る臓器

についての備忘録と感想。

 まず、昨日の「食べる時間と食べない時間の分離」の話題の中で、三輪先生は「食べている時間ばかりでなく排泄をしている時間も無防備になるため、排泄の時間はどんな動物でも短い」と指摘されていたが、このことについてもう少し考えてみた。確かに、摂食時間も排泄時間も外敵に襲われる危険が大きくなる点は同じだが、ヒトの場合、両者にはいくつかの大きな違いがある。
  • 排泄はなぜ恥ずかしいのか、なぜ他の人たちから隠れて排泄するのか、という疑問に対してはしばしば「排泄中は外敵に襲われる危険が大きいので、他者に見つからないように隠れて排泄する」名残であると説明される。しかし、もしその理屈が正しいならば、摂食も同じように外敵に襲われる危険が大きいので、できるだけ他者に見られない場所でこっそり食べるようになるはず。実際は、集団で食事をすることが好まれるようになっている(集団で排泄するのが楽しいという文化はない)。
  • 食事と異なり、排泄をした時にドーパミンが出るという話は聞かない。排泄後には「スッキリ感」はあるものの、特別な人を除けば排泄は食事ほどには快感をもたらさない。これはなぜだろうか?
 もう1つ、「胃があれば、食べる時間と食べない時間を分けることができる。この利点を最も活用しているのが人類であり、食べない時間を利用して学ぶ、娯楽を楽しむといった文化を生み出す時間を獲得した。」という指摘であるが、一般に肉食動物は草食動物に比べると皆「食べる時間」が短いように思う。しかしライオンやネコを見れば分かるように、それらの動物は食べない時間はもっぱら寝ており、人間のように学んだり娯楽を楽しんだりしているわけではない。おそらく、人間の場合は、日常生活の大半を食物の生産、保存、調理など摂食関連の行動に費やしており、衣類の制作や住居の整備などと合わせて、道具づくりや道具を使った生産活動が結果として生き延びる確率を高めたと考えるべきではないかと思う。なので、「食べる時間」を短くしたことで文化が生まれたというよりは、食べるために有用な諸行動の機会を確保するために可能な限り食事時間を節約したと考えるべきであろう。その証拠に、仕事の時間に束縛しない限り、多くの人は時間をかけて食事を楽しもうとしている。

 放送では、将来の食事に関して、ゼリー状の栄養物で満足してしまう人と、本当に料理が大切だと思う人に分かれていくのではないかという指摘もあった。料理に時間をかけるとか、美味しい店を探すといった行動は、必ずしも全人類共通の楽しみでは無くなっているように思う。


 次回に続く。