じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



02月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る



クリックで全体表示。
 2月17日の朝はよく晴れて、南東の空には月齢26.0の月、また備前富士(芥子山)の山麓から昇る太陽を眺めることができた。なお月の赤緯は前日23時3分に最南となっている。また、昨年の「ダイヤモンド備前富士現象」の写真は2022年2月21日及びその翌日以降の日記にあり。


2023年2月17日(金)



【小さな話題】テレビ放送70年「おかあさんといっしょ」から見るこども番組(1)

 2月11日(土)にNHK-Eテレで放送された表記の番組についてのメモと感想。リンク先によれば、
誰もがこどものころ、慣れ親しんだ「おかあさんといっしょ」。1959年「こどもに最高のものを見せる」の精神の元に始まって以来、人形劇、歌、体操の三本柱を軸に現在まで続く長寿番組である。常に時代のニーズを嗅ぎ取り進化してきたこの番組の歴史を貴重な証言を織り交ぜながら振り返る。
という内容。もっとも、私自身は、子どもの頃にこの番組を視たことは一度も無かった。理由は、まだ家にテレビが無かったためである。宇宙船シリカ(1960年9月5日から1962年3月27日まで)に熱中していたことから、家でテレビを視るようになったのは1960年〜1961年頃であったと推測される。その頃にはすでに小学生になっていたため、「おかあさんといっしょ」に接する機会は全く無くなっていた。

 ちなみに、家にテレビが無かった時代はもっぱらラジオを楽しみにしていた。記憶に残っているのは、
 もっとも、1980年代後半から1990年代前半頃は、子どもたちと一緒にこの番組を視たことがあった。その頃のおねえさんは神崎ゆう子さん、また『にこにこぷん』の全盛期であったが、今回の放送では『にこにこぷん』は取り上げられなかった。




 前置きが長くなったが、放送によれば、『おかあさんといっしょ』の放送が開始されたのは1959年10月5日であり、なかでも人気だったコーナーが『ブーフーウー』であったという。ぬいぐるみ、操り人形、着ぐるみが瞬時に入れ替わるというのはテレビならではの手法であった。『ブーフーウー』は、劇作家の飯沢匡、デザイナーの土方重巳、人形作家の川本喜八郎がトリオを組んだ外部委託により制作された番組であったという。黒柳徹子、大山のぶ代といった、後に売れっ子になった声優が抜擢されていた。

 『おかあさんといっしょ』には、『ブーフーウー』の人形劇のほか、歌と体操という3つの要素が含まれていた。この番組を担当したのは当時のNHK婦人少年部であり、他の部署と異なり多くの女性が所属していたという。歌を担当する「歌のお姉さん」は初代の眞理ヨシコさんから始まり現在は第22代、また1970年代から加わった「歌のお兄さん」は初代の田中星児さん、第2代の水木一郎さん、そして現在は第12代の花田ゆういちろうさんに引き継がれている。また「体操のお兄さん」は、初代の砂川啓介さんから始まり、現在は第12代の福尾誠さん、さらに2019年からは「体操のお姉さん」も加わっているという。なおネット上では、複数の「お兄さん」の不祥事も伝えられているようだ。「お姉さん」や「お兄さん」はその時の子どもにとっては自分を元気づけてくれる理想の存在になりやすいので、不祥事が伝えられた時の衝撃は相当に大きい。といっても何十人もの担当者がすべて生涯清廉潔白を貫くということはなかなか難しいことかもしれない。

 放送では続いて、『おかあさんといっしょ』で歌い継がれてきた名曲が抜粋された。もっともそれらの歌が、『おかあさんといっしょ』の中で誕生したものなのか、『みんなのうた』で先に放送されたものなのか、全く別の放送で登場してあとから取り込まれたものなのかは疑問に思うところがあった。いくつかの歌についてウィキペディア等で調べてみたところ、以下のような記述があった【いずれも抜粋】。
  • おもちゃのチャチャチャ
    本作は元々は1959年(昭和34年)、フジテレビで放送されていた大人向けの音楽バラエティー『ヤマハ・タイム』で、おもちゃをテーマにした回でコントの合間に使用される挿入歌として三木鶏郎の企画により野坂昭如の作詞・越部信義の作曲で作られた曲。吉岡治が子ども向け用に全面的に歌詞をリメイクし、越部が旋律を一部削除・改変を加えたものを1962年(昭和37年)8月にNHK総合テレビの幼児音楽番組『うたのえほん』で「今月の歌」として真理ヨシコと中野慶子が1週間交代で毎日歌った。真理が歌うレコードは、1か月に4万枚を売るヒットとなり[3]、1963年(昭和38年)には第5回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。1966年(昭和41年)発行の楽譜集『NHKみんなのうた』《第4集》では、真理が歌うレコード音源に比べて、さらに歌詞の一部削除・メロディ部の改変などが加わっている。この改変版が2021年時点で最も知られている歌詞とメロディとなり、童謡としての初出番組である『うたのえほん』、および同番組を吸収した『おかあさんといっしょ』でも歴代のうたのおねえさん・おにいさんによって歌われ続けている。
  • 北風小僧の寒太郎
    元々は1972年に、NHKの『おかあさんといっしょ』内のコーナー「うたのえほん」の担当スタッフであった近藤康弘から「子供(向け)の演歌があってもいいよね」と水を向けられた井出が、その当時ヒットしていたテレビドラマ『木枯し紋次郎』(フジテレビ)のストーリーと、自身が幼少時代を過ごした長野県南佐久郡小海町の松原湖の冬の風景をイメージしながら作った詞に、福田が曲をつけたものであった。なお、「寒太郎」という言葉自体は本楽曲以前から、一部の地域において寒の入り(小寒)を擬人化した言葉として存在している。
    本曲を『おかあさんといっしょ』の番組中で最初に歌ったのは田中星児であった。田中が歌う音源は1973年発売のLP『NHK「うたのえほん」より うたのおにいさん 第2集』(ビクター JBX-24)などに収録されている。
    本放送後も何度も再放送され、『みんなのうた』の楽曲としては最も再放送が多い曲となっている。1982年には映像はそのまま、音声をステレオに、歌を北島三郎とひばり児童合唱団にそれぞれ変えたリメイク版が放送された。
  • だんご3兄弟
    「だんご3兄弟」(だんごさんきょうだい)は、NHK教育テレビの『おかあさんといっしょ』のオリジナルナンバー(1999年1月の「今月の歌」)として発表された、タンゴ系の童謡であり、また同曲の主人公である三兄弟の串だんごのキャラクターである。
    当時の歌のお兄さんだった速水けんたろう、歌のお姉さんだった茂森あゆみが歌って特に子供たちの間で人気となり、放送終了後、ピーク時にはNHKに1日250本もの問い合わせ電話が殺到、CD発売を待望された。『おかあさんといっしょ』オリジナル曲では史上初となるCDシングル(ポニーキャニオン PCDG-00107)としてポニーキャニオンから1999年3月3日に発売されるや初回出荷80万枚があっという間に完売し、発売当日の追加注文が20万枚、発売日3日目(1999年3月5日)で出荷枚数(追加注文を含む)250万枚[4]を突破する大ヒットとなった。1999年3月17日にはカセットテープシングル(ポニーキャニオン PCSG-00043)も発売された。
    一時期は社会現象になるほど爆発的な人気になって、上記のシングルだけではなく、『NHKおかあさんといっしょにうたおう大全集40+ カラオケ10』(ポニーキャニオン)やビデオ『NHKおかあさんといっしょ 最新ベスト うたのメリーゴーランド16』(NHKエンタープライズPCVK-10191[注釈 3])、その他楽譜などの各種商品が爆発的に売れた。
 『北風小僧の寒太郎』や『だんご3兄弟』は『みんなのうた』で初登場した曲だと思っていたが、『おかあさんといっしょ』で誕生したことが確認できた。【←という点で、これらは「じぶん更新」事項に該当している】

 次回に続く。