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2月17日の朝はよく晴れて、南東の空には月齢26.0の月、また備前富士(芥子山)の山麓から昇る太陽を眺めることができた。なお月の赤緯は前日23時3分に最南となっている。また、昨年の「ダイヤモンド備前富士現象」の写真は2022年2月21日及びその翌日以降の日記にあり。
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【小さな話題】テレビ放送70年「おかあさんといっしょ」から見るこども番組(1) 2月11日(土)にNHK-Eテレで放送された表記の番組についてのメモと感想。リンク先によれば、 誰もがこどものころ、慣れ親しんだ「おかあさんといっしょ」。1959年「こどもに最高のものを見せる」の精神の元に始まって以来、人形劇、歌、体操の三本柱を軸に現在まで続く長寿番組である。常に時代のニーズを嗅ぎ取り進化してきたこの番組の歴史を貴重な証言を織り交ぜながら振り返る。という内容。もっとも、私自身は、子どもの頃にこの番組を視たことは一度も無かった。理由は、まだ家にテレビが無かったためである。宇宙船シリカ(1960年9月5日から1962年3月27日まで)に熱中していたことから、家でテレビを視るようになったのは1960年〜1961年頃であったと推測される。その頃にはすでに小学生になっていたため、「おかあさんといっしょ」に接する機会は全く無くなっていた。 ちなみに、家にテレビが無かった時代はもっぱらラジオを楽しみにしていた。記憶に残っているのは、
もっとも、1980年代後半から1990年代前半頃は、子どもたちと一緒にこの番組を視たことがあった。その頃のおねえさんは神崎ゆう子さん、また『にこにこぷん』の全盛期であったが、今回の放送では『にこにこぷん』は取り上げられなかった。 前置きが長くなったが、放送によれば、『おかあさんといっしょ』の放送が開始されたのは1959年10月5日であり、なかでも人気だったコーナーが『ブーフーウー』であったという。ぬいぐるみ、操り人形、着ぐるみが瞬時に入れ替わるというのはテレビならではの手法であった。『ブーフーウー』は、劇作家の飯沢匡、デザイナーの土方重巳、人形作家の川本喜八郎がトリオを組んだ外部委託により制作された番組であったという。黒柳徹子、大山のぶ代といった、後に売れっ子になった声優が抜擢されていた。 『おかあさんといっしょ』には、『ブーフーウー』の人形劇のほか、歌と体操という3つの要素が含まれていた。この番組を担当したのは当時のNHK婦人少年部であり、他の部署と異なり多くの女性が所属していたという。歌を担当する「歌のお姉さん」は初代の眞理ヨシコさんから始まり現在は第22代、また1970年代から加わった「歌のお兄さん」は初代の田中星児さん、第2代の水木一郎さん、そして現在は第12代の花田ゆういちろうさんに引き継がれている。また「体操のお兄さん」は、初代の砂川啓介さんから始まり、現在は第12代の福尾誠さん、さらに2019年からは「体操のお姉さん」も加わっているという。なおネット上では、複数の「お兄さん」の不祥事も伝えられているようだ。「お姉さん」や「お兄さん」はその時の子どもにとっては自分を元気づけてくれる理想の存在になりやすいので、不祥事が伝えられた時の衝撃は相当に大きい。といっても何十人もの担当者がすべて生涯清廉潔白を貫くということはなかなか難しいことかもしれない。 放送では続いて、『おかあさんといっしょ』で歌い継がれてきた名曲が抜粋された。もっともそれらの歌が、『おかあさんといっしょ』の中で誕生したものなのか、『みんなのうた』で先に放送されたものなのか、全く別の放送で登場してあとから取り込まれたものなのかは疑問に思うところがあった。いくつかの歌についてウィキペディア等で調べてみたところ、以下のような記述があった【いずれも抜粋】。
次回に続く。 |