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3月8日付けの楽天版で、岡山市水道記念館を初めて見学したという話題を取り上げたが、その際にもらったスタンプ用紙を持って半田山植物園を訪れ、水道記念館と植物園の2個のスタンプを完成することができた【写真上】。このスタンプラリーの賞品は水道記念館の限定絵はがき5枚【写真下。著作権保護のためぼかしてある】。 |
【小さな話題】「縄文人はスゴい!」のウソホント 2月28日の日記で、NHK-BSPで放送された『新日本風土記 縄文の旅』の話題を取り上げた。その後、たまたまYouTubeで縄文人を取り上げている動画があり何本か視聴し、縄文人はスゴい!ということが理解できた。以下はあくまで抜粋。
縄文時代がスゴいと思うのはその長さにある。縄文時代の期間については複数の見解があるが、仮に約1万6000年前から約3000年前までであるとすると、1万3000年ということになる。これは縄文時代の始まりから現在までの81%を占めており、1万6000年を1年365日の物差しに喩えるならば約300日ということになる。つまり1月1日に縄文時代が始まったとすると弥生時代になるのは10月の終わり。平安時代が始まったのは12月の初め。江戸時代が始まったのは12月21日頃ということになる。 縄文人がかなりの文化を持っていたという点も驚きである。土器や、住居跡から推測される技術レベルは同時代の世界各地と比較してもかなり高いようだ【もっともYouTubeの中には、かなり胡散臭い誇張を含んだ動画もあるようだ】。 Bingに「考古学の発展によって、縄文人はスゴいということが分かってきました。どんな点がスゴいのか、5つ挙げてください。」と質問したところ、
縄文人が戦いで死ぬことが無かったというのは、正確ではありません。縄文時代には、暴力による死亡率は1.8%と極めて低かったという研究があります。しかし、それでも戦争や争いが全くなかったわけではありません。縄文時代の戦争の原因は、主に食料不足や気候変動などであったと考えられています。という回答をいただいた。この回答の最後の部分「縄文時代は豊かで平和だったというイメージは、一部の遺跡や土器などから作られたものであり、実際には地域差や時代差が大きく、一様ではなかったという見方もあります。」というのはもっともな指摘である。一部の遺跡や出土品だけから当時の縄文人の暮らしぶりを推測することには危うい。特定の縄文遺跡での発見は「その時代、一部の縄文人はそういう暮らしをしていた」という証拠にはなるが、「すべての縄文人」あるいは「縄文人の多く」がそのような暮らしをしていたという証拠にはならない。仮に周辺の集落との間で争いが起こったとしても、戦いの死者がそっくりそのまま埋葬されるとは限らない。死体が地面に転がったままであれば野生動物に食べられて人骨は残らない可能性がある。 脇道に逸れるが、ニホンザルの群れがどこまで平和的な暮らしをしているのかについても同じような議論があるかと思う。ニホンザルは普通、ボス(リーダー)や数頭のサブリーダーのオスを中心としてメスたちとそのコザルから構成される群れを作って暮らしている。群れは縄張りの中を適宜移動しているが、たまに他の群れと衝突する。と言っても、対立する群れのサルを皆殺しにすることはない。殺し合いになるほど戦ったところで何のメリットもないし、自分たちが傷つくリスクの方が高い。縄文人たちにしても、殺し合いをしなければならないほどの切迫した理由が無ければ、普通は集落ごとに棲み分けをするであろう。むしろ適宜、友好的に交易をしたほうがメリットは大きい。 なお上記の「ニホンザルの暮らし」というのは、ニホンザルの一部に過ぎない。群れで生まれたオスは一定年齢に達すると群れから追い出されて離れ猿となって放浪する。その中の一部は群れを乗っ取ってリーダーになるが、負け組はあまり長生きできずに野垂れ死にする。なので「ニホンザルの暮らし」を正確に記述するには「群れで生活するか、群れから追い出されて放浪」とする必要があるように思う。 もとの話題に戻るが、縄文人たちは集団で狩りをする必要があるため、ニホンザルの群れのように、成人前の男たちが集落から追い出されることは無かったはずだ。その場合、近親相姦を避けるための何らかの仕組みがあったはずだが【無ければ近親婚に繰り返しで弱体化していく】、実際はどこまで研究が進んでいるのだろうか。 |