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【連載】ヒューマニエンス『アート』(1)芸術と言葉 3月28日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、 ●“アート” 壮大な“嘘”が教えてくれるもの についてのメモと感想。 ところで、このWeb日記では最近、ヒューマニエンスの話題を取り上げる頻度がすっかり減ってしまった。毎回のテーマはそれぞれ興味があるのだが、いずれも「重い」内容が多く、いざ日記に書こうとすると尻込みしてしまう。今回の『アート』も難しい問題や議論が含まれており、一筋縄ではいかない。 さて、今回のゲストのお一人には、『アート集団チームラボ』代表の猪子寿之さんが出演されていた。リンク先にもあるように、豊洲の『チームラボプラネッツ TOKYO DMM』ではさまざまな魅力的な作品が展示されているようだ。次回上京時にはぜひ訪れてみたい。 放送ではまず、アートがどのように見出されたのか、その起源について説明された。「美しさ」を使うのはヒトだけではない。雄のクジャクは美しい羽を広げてメスにアピールするし、オイカワなどの魚の雄は繁殖期になると体の色を変える。ヒトも、当初はこうした動物たちと同じ目的で「美」を使っていたらしい。南アフリカ『ブロンボス洞窟』では約10万年前の地層から赤い石が発見されているが、この石は化粧道具であり、異性へのアピールという目的で自分を美しいものに飾り立てるために使われたらしい。 今から約4万年前になると、インドネシア・スラウェシ島の洞窟にあるような壁画が、世界各地で作られるようになった。この背景には言葉があるという。山極壽一さん(総合地球環境学研究所)によれば、さまざまな壁画や彫刻は言葉が現れてきてから増えてきた。言葉というのは世界を分類する行為であり、この時期から言葉によって切り取られた世界を頼りにしはじめるようになった。放送では、 ●Saito, A. (2021).ARCHAEOLOGY OF THE ARTISTIC MIND: FROM EVOLUTIONARY AND DEVELOPMENTAL PERSPECTIVES. Psychologia,63,191-203. という論文が紹介された。顔の輪郭のみが描かれた絵をチンパンジーと子どもに与えると、チンパンジーは顔の輪郭をなぞるだけであったのに対して、3歳以上の言葉を話せるようになった子どもは、目や鼻をあるべきものとして描いた。これは言葉によって、世界を正確に把握できるようになったためと説明された。つまり、人類は言葉を使うことで目や鼻などの概念を認識できるようになった。そしてそのことにより、目の前に存在していないものまで脳で再構築できるようになった。 山極壽一さんは、さらに言葉とアートの反発作用もあると指摘された。言葉があることで、言葉とは違うものとして芸術を発展させようというモチベーションが高まったた。ドイツ・『シュターデル洞窟』で発掘された4万年前の『ライオンマン』の像は、頭はライオン、体は人間というように現実にあり得ない姿となっている。「芸術は、言葉が持っている意味を逆転させながら、現実とは違う新たな創造性を生む。言葉は規範につながる。規範は人間を管理することにつながる。でも人間は本来管理されたくない。その管理されたくない部分が反逆して暴発する。そういう中に自由をみつけ、新たな気づきをみつけるというのが人間の強み。」と説明された。 ゲストの川畑秀明さん(慶應義塾大学文学部、神経美学)は、このことについて、 言葉によってみんなが理解はできる。でも逆に、創造力のように言葉によって制約されることもたくさんある。反発作用と言われていたように、言葉ではないところを使うことで、新しい表現を生み出した。と説明された。 また、猪子寿之さんは、 言葉での認識は、複雑極まりなく連続しあって関係しあっているこの世界を切り刻んで切り取っていく行為。アートの認識の仕方は、複雑極まりないものを切り刻ます、関係しあうものをどうにか連続したまま認識して抽象化する行為。子どもが絵を描くと、世界中どこの文化圏でも『頭足人』(顔に2本足がついている絵)になる年齢がある。これは見て描いたというよりも認識したものを表現している。またお母さんの絵を描くと、必ず家があったりお花や空や地面が描かれている。これらはお母さんと関係しあっていて、その全体像を切り刻ますにどうにか抽象化しているように思われる。ライオンマンについては、「虚構を信じられる」、実在するものとフィクションとの区別がつかないのが人間の特性であり、互いに信じ合える。お金も同様で、実在しないがお互いに信じ合えるので使われている。というように述べておられた。なお、織田さんが「(子どもに教育するために)そんな悪いことしていたらコイツにさらわれちゃうぞ」というのも同様かと述べたことに対して、猪子寿之さんは、それは「嘘つき」でえあって、「共有」とは違うと述べておられた。 ここからは私の感想・考察になるが、上掲のSaito, A. (2021)【斎藤亜矢さん(京都芸術大)の論文に出てくる話はずいぶん昔、1980〜1990年代にも聞いたことがあった。論文の発表年が2021年というのは意外であった。いままで論文化されていなかったのだろうか。 あと、美の起源については、渡辺茂さんの ●美の起源: アートの行動生物学 (共立スマートセレクション) という本があるが、今回の放送では触れられていなかったようである。 次回に続く。 |