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GWは例年通り、妻の実家のある北九州に帰省する予定であるが、今年のGWは今のところ雨が多いという予報(日本気象協会)になっている。屋外でのレジャーを楽しみにしている人たちや観光業者さんにとっては残念な予報だが、ベランダの鉢花にとっては、鉢が乾きにくいのでありがたい。 |
【連載】ヒューマニエンス『アート』(2)眼窩前頭皮質 昨日に続いて、3月28日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、 ●“アート” 壮大な“嘘”が教えてくれるもの についてのメモと感想。 まず、昨日のところで、言葉とアートの反発作用ということが語られた。この見方は山極壽一さんによるもので、スタジオに出演されていた川畑秀明さんや猪子寿之さんの考えとは異なっているものと思われるが、いずれにせよ私にはイマイチしっくりこないことがある。 もちろん「言葉」といっても、言語行動を意味するのか、それとも、種々の事物を人間生活の利便性に合わせて分割分類して記号や音声を対応させることなのか、など定義によって位置づけは異なるが、「アートか言葉か」という対立関係にはならないように思う。でないと、言葉を使った詩や小説はアートには含まれないことになってしまう。そうではなくて、言葉も絵画も音楽もみな表現手段であり、ある種の表現、つまり、世界全体の繋がりや感情を含めて表現される場合にはアートとなるいっぽう、実用的な目的で利用される場合にはアートにはならない、というように分けて考えるべきではないかと思う。なので、写真や絵画も、アートになる場合とならない場合がある。例えば、パスポートや免許証の顔写真、報道写真、指名手配の似顔絵などはアートにはならない。言葉も、歌詞や短歌ではアートになるが、観察記録や事故現場の報告書はアートにはならない。 もとの話題に戻るが、放送では続いて『アートを求める脳の“快感"』という興味深い話題が取り上げられた。スタジオにも出演されている川畑秀明さんの研究によれば、
放送ではさらに、眼窩前頭皮質は、人の行動の善悪にまつわる事象にも反応する。 ●Hidehiko Takahashi, Motoichiro Kato, Masato Matsuura, Michihiko Koeda, Noriaki Yahata, Tetsuya Suhara, & Yoshiro Okubo. (2008).Neural correlates of human virtue judgment. Cerebral Cortex, 18(8),1886-91. という研究で、被験者に「彼は自分の命を危険にさらして溺れている人を助けた」、「彼は老人からお金をだまし取った」、「彼は公園で携帯電話を使った」といった第三者の行動を記した文を提示し、それらが称賛に値するか、非難に値するかという判断を求めたところ、称賛に値すると判断された時には眼窩前頭皮質が反応することが確認された。 川畑秀明さんによれば、報酬系には眼窩前頭皮質とは別に線条体がある。線条体のほうでも快楽の報酬を受け取るが、絵画や彫刻を見て美しいと思っても線条体はあまり活動しない。つまり、眼窩前頭皮質は私たちの文化的・社会的な価値、「私たちにとって“いいもの”」が受容されている。なお、眼窩前頭皮質で得られる快感は、ニコチンなどによってもたらされる線条体で得られる快感とは異なり依存性はない。 眼窩前頭皮質で得られる快感は、絵画、善への称賛、おいしいご飯を食べた時にも得られる。但し、極度の空腹が満たされた時は線条体のほうが活動するという。このあたりを行動分析学的に解釈すれば、
なお、猪子寿之さんからは、 本来動物にとって自然は搾取の対象でしかない。サルは搾取しかしない。人間も搾取しまくるが、もし自然が搾取の対象に過ぎなかったら文明の発達と共に莫大な量を搾取しまくって滅びていたはず。人間にとって自然が美の対象となり、美に対してドーパミンが出ているおかげで人類は滅びなかった。という興味深いコメントがあった【←長谷川の聞き取り・要約】。このコメントはなかなか的を射たものであると思った。ひたすら快楽だけを追い求める動物は、資源を食い尽くしていずれ滅んでしまうだろう。 次回に続く。 |