【小さな話題】「冬眠棲み分け」という夢/『らんまん』少しだけ違和感
- 「冬眠棲み分け」という夢
6月4日〜5日の夜(たぶん6月5日の夜明け頃)、鮮明な夢を見た。世界的な食糧難が到来し、飢え死にを避けるために、いま生きている人たちの半分を冬眠させるというもの。
- 冬眠処置を施されると、食事は不要となり、わずかの水分・栄養素補給で何百年も生き続けることができる。
- 冬眠期間は本人の希望により、50年間〜300年間程度の中から選択することができる。要するに、住む場所を分散するのではなく、住む時代を分散して棲み分けをはかるというもの。
- 冬眠期間が特定の長さのところに集中しないように調整がはかられる。
- 冬眠から覚めた時は、冬眠に入った時と同じ状態の体が蘇り、記憶も殆ど復活できる。但し若返ることはできない。30歳で冬眠した人は30歳、40歳で冬眠した人は40歳の体として蘇る。
見た夢の内容というのは殆どの場合、その日に起こった珍しい体験やドラマの展開などから派生することが多いのだが、今回の夢は何から連想されたものなのか、思い当たるふしが全く浮かばなかった【[※]。
でもって、目が覚めた後で、もしこのようなことが現実化した場合、私はどういう選択をするのか考えてみたが、私のような隠居人にとっては、今さら50年〜300年先まで冬眠したところでメリットは殆ど無いように思われた。
- 冬眠を選択するということは、選択しなかった人たちと死別することと同じ。
- そもそも、50年〜300年先まで人類が存続するという保証は全く無い。存続していても、独裁者が世界を支配していたり、世界規模の戦争が勃発し、生命維持装置が遮断される恐れが大きい。
- 医療技術の進歩により、冬眠から覚めた時には不老不死が実現しているかもしれないが、不老不死が最善であるかどうかは何とも言えない。
ということで、私個人としては「冬眠」選択には否定的であるが、死ぬ前に100年後〜300年後の世界がどうなっているのかを見てみたいという気はする。
[※]その後ふと思ったが、夢の内容は、もしかするとアシアナ航空の機内で『バック・トゥ・ザ・フューチャーを視聴したためかもしれない。ちなみにこの映画は何度も視ているが、今回、なぜタイトルが『バック・トゥ・ザ・現在』ではなくて『バック・トゥ・ザ・未来』となっていたのかがようやく分かった。
- 『らんまん』少しだけ違和感
4月26日に続いて、NHK朝ドラ『らんまん』の感想。
前回も述べたように、朝ドラを続けて視聴するのは2012年10月から2013年4月まで放送された『純と愛』以来10年ぶりとなるが、視聴者を振り回すような『純と愛』の急激な展開の連続とは異なり、本作のほうは朝ドラの伝統をふまえ、これまでのところ比較的「順風満帆」なシナリオとなっているように思われた。
直近の第8週まで視聴したところでは、ドラマとしては面白いものの、少しだけ違和感が生じてきた。それは、主人公の槙野万太郎が、見知らぬ人たちや自分と対立したり自分を排除しようとしたり人たちともうまく取り繕って懇意になれるという点であった。偏見かもしれないが、何かに夢中になるような人というのは大概は周囲の人たちまで気配りをする余裕が無く、しばしば対立や孤立に陥りがちであるように思われる。もちろん、だからといって、すべての熱中人がオタクになるというわけではないが、私自身は今回の主人公として描かれているようなタイプの人には出会ったことがなく、そのぶん違和感があった。
実在の牧野富太郎博士の対人関係がどういうものであったのかは確かなことは分からないが、リンク先によれば様々な軋轢や、金銭上の問題を抱えたことがあったようである。
リンク先によれば、再婚した壽衛とは「1887年(明治20年)12月、一目惚れした小澤壽衛(14歳)と下谷区根岸の御院殿跡の離れ家で一緒に暮らしはじめ、翌年(明治21年)10月、第一子園子(1888年 - 1893年)が生まれる。 」という記載があり、ドラマとはかなり違っていたようだ。なお壽衛との間には13人の子が生まれたが、成長できたのはその内7人(3男4女)だけであったという。今では考えられないほどの低い生存率だが、新生児や乳幼児の死亡リスクの高い時代ではありがちであったのかもしれない。いずれにせよ朝ドラの性格上、こうした子育ての辛さは描かれないものと思われる。
ドラマのこの先の展開は不明だが、実在の牧野富太郎博士の人生はかなり多難であり、何をもってハッピーエンドとするのかはなかなか難しいように思う。西村寿恵子とめでたく結ばれた、でドラマ終了であればハッピーエンドだが、現実には、そのあとは苦難の生活が続く。
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