じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る



クリックで全体表示。

 鉢植えで育てているクルクマが今年も順調に生育し花茎を伸ばしている。今年は2本目の花茎も出てきた。
 クルクマは寒さに弱いため、冬場は室内で鉢を乾燥させた状態で保管。最低気温が20℃を超えたあたりからベランダに出した。鉢皿に水が溜まる程度まで多めに灌水したところ、昨年までより早く花茎が出てきた。過去記録は以下の通り。


2023年8月18日(金)




【連載】ヒューマニエンス「整理整頓」(5)整頓行動の連鎖化、何でも脳に結びつける弊害、断捨離のコツ

 昨日に続いて、8月7日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、

“整理整頓” それはヒトの本能なのか

についてのメモと感想。

 放送では続いて「なぜ片づけは難しいのか」という最も関心度の高そうな話題が取り上げられた。最初に紹介されたのは、中高時代に着ていた服をなかなか捨てられないという主婦の事例であった。片づけようとする衣類には大切な思い出が結びついていて片付けを難しくしている。
 マインドフルネスで有名な熊野宏昭さん(早稲田大学)は、「物の片づけとは心の整理」であるとして以下のように指摘された。
いちばん執着しているのは“私”に執着しているのだが、それがすべての現実と結びついていっちゃう。それをどこかで手放していくというプロセスが“片づける”という心理学的な意味としてある。


 また、加藤俊徳さん(医学博士)は「過集中しないと整理整頓って本来できにくい。だから脳全体が活性化した状態を作り出さないと整理整頓はしにくい。」と指摘された。加藤さんによれば、整理整頓は、
  • まず空間を把握しなければならない。その時には頭頂連合野と視覚野が使われる。
  • 「いる、いらない」の判断を行うのは前頭前野。
  • その後、運動野から筋肉に指令を出し、体を動かして片づける。
  • そしてしまった場所を海馬などに一時記憶。
というように脳のあらゆる場所を働かせているのだという。整理整頓が苦手な理由は人それぞれであり、「きれいにするという今までの単純な考え、常識ではなく、ひとりひとりの個性の表現としながら向き合っていく。」という視点が大切であると指摘された。何を残し何を捨てるのかは、その人の心の整理、生き方と関係している。
 なおウィキペディアによれば、加藤俊徳さんは2006年6月1日、株式会社脳の学校を立上げ、代表取締役となる。脳の新しい見方「脳番地」論を提唱。大人や子どもの発達障害に脳の海馬回旋遅滞が関与している事実を報告。MRI脳画像を用いた脳個性を鑑定することができるベクトル法NIRSを開発。脳番地を診断する新しい脳機能解析法SRIを発明。さらに2013年、加藤プラチナクリニック(東京都港区白金台)に開設。西洋医学、東洋医学を含めた「薬だけに頼らない脳の処方箋」をテーマに掲げ、MRI脳画像を用いた診断と治療を行っており、一般向けの著作も多数あるということであった。

 スタジオでは上掲の過集中や、思い出とつながった物を捨てられない現象などについてトークが交わされた。稲垣えみ子さんは「モノの整理整頓は過去の自分への区切り。将来に向かう一つの儀式」であると述べておられた。また、坂上雅道さんからは、「思い出の品がなかなか捨てられない1つの可能性は、私たちの意識で制御できないもの、例えば、昔みんなから褒められた服のようなものがあり、ひょっとしたら脳の無意識のメカニズムが原因かもしれない。」というようなコメントがあった。




 ここからは私の感想・考察になるが、『整理』という言葉の定義にも含まれているように、まずは、
  1. 日常生活に必要なモノをそれぞれの置き場所にきっちり保管する行動【整頓】
  2. まだ使えるものであってもこの先不要であると判断した場合はさっさと捨てる行為【断捨離】
というように分けて考える必要があるように思う。

 このうち1.の整頓行為だが、行動分析学的に言えば、結局のところ、整頓がうまくいかないのは、整頓行動が適切に強化されていないからということになる。その理由として、整頓しなくてもすぐに手に取れる状態にあったとすれば、整頓行動は消去されてしまう。いっぽう、整頓しておかないと必要なものがすぐに手に取れない状況であれば、「整頓しておく→迅速に作業ができる【正確には作業の成果が早期に出現する】」という随伴性によって整頓行動は強化されるようになるだろう。
 整頓行動はいちいち強化されなくても、一連の行動連鎖の形成によって遂行可能である。QBハウスで散髪する時に理髪師さんの行動を見ていると気づくことだが、一人のお客さんの散髪が終わったあとの清掃、消毒、収納の手順はしっかりと行動連鎖として形成されていて、何かをやり忘れるということはない。朝起きてからの日常生活行動もうまく連鎖化していけば結果として整頓ができるようになる。

 ところで、脳科学者の登場の多いヒューマニエンスの番組ではありがちなことだが、なぜこれほどまでに脳に結びつけて考えなければならないのか、少々あきれることがある。例えば加藤俊徳さんは、整理整頓は、
  • まず空間を把握しなければならない。その時には頭頂連合野と視覚野が使われる。
  • 「いる、いらない」の判断を行うのは前頭前野。
  • その後、運動野から筋肉に指令を出し、体を動かして片づける。
  • そしてしまった場所を海馬などに一時記憶。
という過集中が必要であると述べておられたが、それを言うならば例えば、目の前の料理を食べる時にも、
  • まず出された料理の全体を把握しなければならない。その時には頭頂連合野と視覚野が使われる。
  • 「食べる、食べない」の判断を行うのは前頭前野。
  • その後、運動野から筋肉に指令を出し、体を動かして食べ物を口に入れて噛んで呑み込む。
  • そして何を食べたのかを海馬などに一時記憶。
というように同じような過集中が生じているはずだ【←脳のどこが活性化しているのかは多少異なるだろうが】。トイレに行くのも、テレビのスイッチを入れるのも同様。もちろん何らかの行動をする際に脳のいろいろな部位が連動して活性化していることは確かだが、いちいちその場所を挙げたとしても、何かの行動を説明したことにはならない。
 スタジオ解説者の坂上雅道さんの説明も同様で、最後はとうとう「脳の無意識のメカニズムが原因かもしれない」というように、なんだかよく分からないことは何でも「脳の無意識」に結びつけるという、俗流脳科学に与しているかのような印象さえ受けた。

 ではどうすれば良いのかということだが、断捨離に関して言えばやはり、熊野宏昭さんがおっしゃっているように「私への執着」から解き放たれる必要があるように思う。

 なお、私自身の経験で言えば、例えば本を処分する際(ブックオフにタダ当然で売るか、あるいは資源ゴミに出す)には、処分対象となる本の中でもいちばん大切だと思われる本から処分を始めることである。その本を捨てるという思い切りさえつけば、その本に比べて大切ではないという本はあっさりと捨てられる(「あの本を捨てたのだから、この本が捨てられない理由はない」)。食器類を不燃ゴミに出す場合も同様であり、いちばん残しておきたい食器を先に捨てればあとは簡単。衣類も同様。
 あと、すべてを一気に片づけてしまおうとするとくたびれてしまうので、毎週、少しずつ廃棄を進め、「今週はこれだけの断捨離ができた」という、過去の状態との差分を成果と見なすことが肝要。全体を見てしまうとあまりにも膨大で、ちょっとだけ片づけても成果があったようには見えないからである。

 次回に続く。