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【連載】100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』(1)スキナーとローティの交流? 2024年2月5日からNHK-Eテレで放送が開始された、 ●100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』 についての感想・考察。 今回取り上げられたリチャード・ローティ(1931-2007)については、恥ずかしながら、これまで一度もお名前を耳にしたことが無かった。番組公式サイトによればローティは、「トランプ現象」を予言したとしてSNSで大きな反響を巻き起こした哲学者であるという。さらに、 ローティは、伝統的な哲学を葬り去った哲学者ともいわれる。古代ギリシャに端を発し、デカルト-カントによって完成されたとされる近代哲学は、「究極の真理を見出し、それによってすべての学問や知を基礎づけ直す」という野望をもっていた。しかし、ローティはそんな「基礎づけ主義」は百害あって一利なしであり、社会に深い分断をもたらすだけだという。人類にとって特権的な知など存在せず、あらゆる「語り」「ボキャブラリー」は同等であり、それぞれに尊重されるべきものだと主張するのだ。とも紹介されている。 1回目の放送によれば、ローティは、1931年、アメリカ・ニューヨークで生まれた。その後、
さて、私自身は、率直に言って、哲学にはあまり興味が無い。いちおう学歴上は「文学部哲学科卒業」となっているが、それはあくまで「心理学専攻」が哲学科に属していたためであり、哲学の授業を受けたことは一度も無かった。大学院を受験する際には哲学科共通の英語問題があり、それをパスするために(60点以上取らないと無条件に不合格になると聞いていた)、卒論提出後から院入試までの期間は毎日11時間ほど哲学の英語の勉強をしていたが、出題者がギリシア哲学、中世キリスト教、カントやヘーゲルなどの専門家に限られていたため、ローティのことは全く耳に入って来なかった。もっとも私が受験したのは1975年で、ローティの『哲学と自然の鏡』はそれより後の1979年の出版だったから、院入試の時点ではまだあまり知られていなかったのかもしれない。ということで、院入試に合格するための手段として哲学英語を学んだ反動もあって、その後は論理実証主義や科学哲学には多少は興味をいだいたものの、それ以外の哲学については入門書を含めて殆ど学んだことが無かった。 ということで、今回のローティについては、この歳になって原著や関連する解説書を読破して理解を深めようというレベルまで興味をいだいたわけでは無かった。私が唯一興味をひいたのは、今回取り上げられた著書『偶然性・アイロニー・連帯(Contingency, Irony, and Solidarity』(1989)のタイトルに『contingency』という言葉が含まれていたことであった。『contingency』は、行動分析学であれば即座に『随伴性』と訳される基本概念であり、スキナー(1904-1990)の著書の中にも『Contingencies of Reinforcement: A Theoretical Analysis』(1969)というように『contingency』を含むタイトルがある。もとの英語が同じであることから、少なくとも英語読者は同じ意味として受け止めていた可能性があるのではないか、さらに『偶然性・アイロニー・連帯(Contingency, Irony, and Solidarity』が出版された1989年にはスキナーも『Recent Issues in the Analysis of Behavior』も出版していることからみて、何らかの交流、もしくは論争があったのではないかと想像された。。 もっともBingで尋ねた限りでは、スキナーとローティの間に交流があったという証拠は見当たらないようであった。著書の引用文献表でお互いの引用があるのかどうかについても、関連書をすべて図書館に返却してしまったため、手もとで確認することはできなかった。 次回に続く。 |