【連載】チコちゃんに叱られる! アロハシャツの由来、ハワイ観光の低迷、かりゆし
昨日に続いて、12月12日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- B級グルメの『B級』ってなに?
- なぜハワイと言えばアロハシャツ?
- ラジオにAMとFMがあるのはなぜ?
- 【ひだまりの縁側で…】モラルライセンシング
という4つの話題のうち2.について考察する。
放送ではアロハシャツの由来は「日本人が和服を持ち込んだから」が正解であると説明された。長年にわたりアロハシャツについて研究し自らもアロハシャツを作っている中野喜啓さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- アロハシャツの起源は今からおよそ130年前。当時のハワイに移住した日本人が持ち込んだ和服が深くかかわっている。
- 1800年代後半当時のハワイは(併合される前の)アメリカに砂糖を輸出するため、その原料となるサトウキビ産業が発展。人手不足を補うためにたくさんの日本人がハワイに移住した。
- 当時のハワイで日本人たちが作業衣として着ていたのは、『パラカ』と呼ばれる木綿地の長袖シャツ。もともとはヨーロッパの船員が着ており、青いチェック柄が特徴だった。
- パラカが日本のもんぺや浴衣でよく見る絣(かすり)と風合が似ていたために、気安さや親しみやすさから日本人の間で浸透したと考えられる。
- しかし当時の暮らしは決して裕福ではなく、ボロボロになるまで着古し、また子どもたちに新しい服を買えない状況にあった。
- そこで使い古した和服を使って子ども用のシャツを仕立てた。これが広まってアロハシャツの起源。
- 1900年代に入るとハワイの日本人はさまざまな仕事に就くようになり、仕立て店や呉服店が登場。そこでは日本から輸入した和服の生地を使い地元の大人たちにシャツを仕立てていた。
- 1920年代後半にはサンフランシスコとホノルルを結ぶ客船が就航しハワイが観光地として人気になり、お土産としてのアロハシャツの需要が一気に増え、さまざまなデザインが生まれた。
- 1950年代にはアロハシャツは最盛期を迎え、ハワイ名物として定着。決まった日にアロハシャツを着る『アロハフライデー』などのキャンペーンを開催。また今ではアロハシャツはハワイの正装となっており、結婚式も葬式もアロハが着用される。
- 放送では中野さんが所有するおよそ4000点のコレクションの中から貴重なアロハシャツが紹介された。
ここからは私の感想・考察を述べる。
まずハワイについての私のかかわりだが、ちょうど今、2026年の海外旅行先の選定と資金調達計画を立てているところであるが、ハワイというのはまったく候補には含まれていなかった。極端に言えば、私が思い浮かべる地球儀の中にはハワイという地名は存在しなかったと言えるほどである。
そう言えば私がよく利用する旅行会社3社(S社、T社、C社)は少なくともコロナ後は一本もツアーを出していない。コロナは火山に登ることを主目的としたツアーが出ていたが、ザッと検索した限りでは現在は現地ツアーもしくは個人旅行のみとなっているようである。
私が子どもの頃は、アップダウンクイズで
●ハワイへのご招待。10問正解して、夢のハワイへ行きましょう!
という冒頭の挨拶の影響もあり海外旅行先としてのハワイは絶大な人気があったが、
などで指摘されているように、日本人観光客数はコロナ前には戻っていないようだ。ハワイへの日本人観光客数が低迷している原因についてChatGPTに尋ねたところ以下のような回答をいただいた。
日本人の間で「ハワイに行きたい」という志向が相対的に弱まった背景には、**一時的要因と構造的要因の両方**があります。以下では、戦後から続いた「ハワイ一強」がなぜ揺らいだのかを、整理して説明します。
- 最大の要因:費用対効果の悪化
### ◆ 円安と物価高の直撃
近年のハワイは、日本人旅行者にとって**極めて割高**になっています。
- 円安の進行
- ハワイ州の物価上昇(外食・宿泊費・チップ)
- リゾート税・サービス料の上乗せ
結果として、
**「ハワイ1週間」=「ヨーロッパ1〜2都市周遊」**
**「東南アジアなら複数回行ける」**
という認識が広がりました。
かつては「高いが安心・満足度が高い」だったハワイが、現在は「高い割に新鮮味が少ない」という評価を受けやすくなっています。
- 「特別な海外」ではなくなった
### ◆海外旅行の一般化
1960〜80年代の日本では、ハワイは
- 初めての海外
- 新婚旅行の王道
- 英語圏で治安が良い“理想の外国”
という**象徴的存在**でした。
しかし現在は、
- 韓国・台湾・東南アジアが身近な海外に
- 英語圏=ハワイ、という独占的地位が消失
- 海外経験者が多数派
となり、**「ハワイである必然性」**が弱まりました。
- 観光内容の単調さ・既視感
### ◆ リピーターが感じる限界
ハワイ観光は本質的に、
という構成が中心で、文化・歴史・都市の多様性という点では限界があります。
特に、
- 何度も行った中高年層
- SNSや動画で事前に“見尽くしている”若年層
からは「またハワイでなくてもよい」という判断がされやすくなっています。
- 競合地の台頭(代替先が増えた)
### ◆ 東南アジア・欧州・オセアニア
ハワイの代替となる選択肢が、かつてよりはるかに豊富です。
- 東南アジア:
物価が安く、リゾート+食+文化体験が可能
- ヨーロッパ:
歴史・街歩き・美食という「非日常性」が強い
- オーストラリア・ニュージーランド:
自然+英語圏+治安というハワイの強みを部分的に代替
結果として、**「高いお金を払うなら、別の体験を」**という志向が強まっています。
- 日本社会側の変化
### ◆長期休暇が取りにくい
ハワイは移動時間が長く、**最低でも5〜7日程度**の休暇が必要です。
一方で日本では、
- 有給取得率は改善しても、連続休暇は依然取りにくい
- 仕事・介護・家庭事情で長期不在が難しい層が増加
その結果、
に流れる人が増えています。
- コロナ禍による心理的断絶
コロナ期に、
が進み、**ハワイへの“習慣的憧れ”が一度リセット**されました。
回復期においても、真っ先にハワイへ戻る必然性が薄れたことは大きいといえます。
- ただし「嫌われた」わけではない
重要なのは、**ハワイの評価が下がったというより、相対的地位が下がった**という点です。
といった強みは依然として健在で、
からの支持は今も根強く残っています。
- ## まとめ(要点)
日本人の「ハワイ離れ」は、
- 円安・物価高による費用対効果の悪化
- 海外旅行の一般化による象徴性の低下
- 観光内容の既視感
- 代替先の増加
- 日本社会の休暇制約
- コロナによる心理的リセット
といった要因が**重なった結果**です。
つまり、**「ハワイが悪くなった」のではなく、「世界が広がった」**と捉えるのが、最も実態に近い理解でしょう。
ということでハワイの低迷はほぼ理解できた。
元の話題に戻るが、アロハシャツによく似た服に沖縄のかりゆしがあるが、ウィキペディアに記されているように、かりゆしは、アロハシャツよりはずっと後になって登場したようだ。
- かりゆしウェアはハワイのアロハシャツをモチーフに作成されており、基本的なデザインはアロハシャツと同じ半袖開襟であるが、ボタンダウンやスタンドカラーのものも製造されている。
- そもそも、アロハシャツは、ハワイに渡った日本の移民が着物を仕立て直してシャツにしたものが起源とされ、1930年代には日系人や中国系の仕立屋によって盛んに作られ、1935年には日系人経営のムサシヤが初めて「アロハシャツ」名の広告を出した。アロハは、日本から輸入された生地が使われたため、当初は和柄が多く見られたが、やがて洋柄化が進み1940年頃までには、トロピカルなモチーフを使い華やかでカラフルな色彩で染めたものが主流となった
- かりゆしウェアは当初観光をアピールすることを目的に、1970年に社団法人沖縄県観光連盟会長の宮里定三の発案により、観光沖縄をPRするために沖縄シャツの名称で発売されたことに端を発する。
- 宮里定三は、沖縄がまだ米国統治下にあった1968年、米軍の民政機関・琉球列島米国民政府(USCAR)から、沖縄の人材育成などを目的にハワイに派遣された4人の「国民指導員」うちのひとりだった。宮里は、那覇市でホテルを経営しており、沖縄観光が進むべき道は「ハワイから学び、ハワイを超えること」と考えていた。ハワイから帰国すると「沖縄独自のアロハシャツを作ろう」と提案し、2年後の1970年に「おきなわシャツ」が発売されたのである。
- 1990年3月、「めんそーれ沖縄県民運動推進大会」において、推奨基準とその名称を広く県民から募集することを決定。5月に沖縄タイムスやその他広報媒体で名称を募集。審査会にて名称を「かりゆしウェア」に決定。カジュアル・フライデーなどでの着用が推進された結果、徐々に官公庁などでの着用が広まるようになり、2000年の九州・沖縄サミットで各国首脳が着用し、その際に定義が現在のものに変更され、バリエーションの幅が広がったことなどを契機に官公庁・銀行ほか一般企業でも広く普及するようになった。沖縄県衣類縫製工業組合の調べでは2004年の出荷枚数は31万枚を数えている。
なおYahooのAI解説によれば、「かりゆし」は沖縄方言で「めでたいこと、縁起が良いこと、幸多かれ」という意味で、漢字では「嘉利吉」と表記されるという。
次回に続く。
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