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じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 【2025年10月】オーストラリア南西部・フラワーハンティング(30)RACカリー・バレー・リゾート(1)湖畔のコテージ

 オールバニーの次の宿泊地、ペンバートンではレイク・ビーデルップの端に位置するコテージに泊まった。湖に面しており、朝は野生のインコ(ポートリンカーンインコ)が餌をねだりにやってきた。美しい景色を堪能したが、オーストラリア南西部は乾燥した大地だと思っていただけに、このような深い森と湖があるということ自体が意外だった。

2026年2月17日(火)




【連載】3か月でマスターする古代文明(15)ヒッタイトの「鉄の帝国」神話(2)多様な宗教に寛容であることの統治

 すっかり間が空いてしまったが、1月6日に続いて、表記の番組についてのメモと感想。

 本日は、前回に続いて、

●2025年10月15日初回放送 (3)ヒッタイト “鉄の帝国”のヒミツ

を取り上げる。

 前回の日記では、ヒッタイトは強大な軍事力を誇っており、その強さの秘密は鉄の武器を独占していたためとされていたこと。しかし最近の研究では、
  • ヒッタイトの遺跡で発見されたと言われていた世界最古の鉄剣は実はヒッタイトより前の時代の鉄剣だった。また、隕鉄を加工して作られたものだった。(鉄鉱石から人工的に作られた鉄ではなかった)
  • ヒッタイト時代の地層からは鉄が出てこない。
  • ヒッタイト以外の国でも鉄が流通しており、ヒッタイトが鉄を独占していたという説は疑わしい。
  • 当時の製鉄の技術はまだまだ不安定で大量生産はできなかった。
  • ヒッタイトで使われていた武器は鉄製ではなく青銅製だった。粘土板に鉄の記事が多く刻まれていたのは、(武器の原料だったからではなく)、貴金属として取引されていたためと考えられる。
 これらを踏まえると、新たに次のような疑問が生じる。
  1. ヒッタイトは紀元前17世紀から13世紀にかけて500年にわたり繁栄した王国であるが、なぜこのよな長期にわたり存続しえたのか?
  2. ヒッタイトは紀元前13世紀になぜ忽然と姿を消したのか?


 このうち1.については、ヒッタイトは幅広い交易を行う「多民族 多文化 多言語」を特徴とする国家であり、多様な宗教に寛容であり、文字に頼る治め方(『ヒッタイト法典』)がうまく機能していたと解説された。

 交易については、エジプトからの象牙、キプロスからの銅、バビロニアからのスズ、東ヨーロッパからの琥珀、などの取引があったことが出土品から確認されているという。交易が盛んであれば多様な民族が行き来する。もともとヒッタイトは先住民が暮らしていたところにヒッタイト人が移り住んで暮らした国。さらに支配の領域を広げるにつれて近隣のフリ人が移り住んだ。こうした多民族を統治するためには宗教が利用された。といっても1つの宗教を押しつけるのではなく寛容であることが統治のカギとなった。ヒッタイトの都ハットゥシャ跡の一角には神殿があったが、そこではヒッタイトの神々だけでなく他の民族の神々も祀られていた。しかもヒッタイトの王は、ヒッタイトの神々の名を他の民族の神々の名で呼ぶことを認めていた。例えばヒッタイト人の天候神『タルフンナ』はフリ人の天候神『テシュプ』という名前でも呼ばれていた。その妻である太陽の女神に至っては、フリ人の太陽の女神『ヘパト』のほうが広く伝わっていたという。こうした寛容な統治で多民族が暮らす国をまとめようとしていたという。

 次回に続く。