UTF-8 since Oct 8, 2025

じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



02月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。

 

 妻が録画していた『ショーシャンクの空に』(1月5日、NHK-BS)を観た。最後のところに、「アレン・グリーンをしのんで」というメッセージがあったが誰のことか分からなかったのでGoogleレンズで調べてもらったところ、
「アレン・グリーンをしのんで」というメッセージは、監督のフランク・ダラボンの非常に親しい友人であり、エージェントでもあったアレン・グリーンへの追悼です。彼は映画の権利獲得に貢献しましたが、完成直前に亡くなりました。
とのことであった。

 ウィキペディアには以下のようなより詳しい関連情報があった【要約・改変あり】。
  1. 劇場公開された映画の完成版(ファイナル・カット)は142分で、撮影中にエイズで死去したダラボンの元エージェント、アレン・グリーンに捧げられた。
  2. 最初の編集版は2時間半近くもあってグロッツァー【製作総指揮】が長いと判断し、レッドが投獄されてから刑務所に馴染むまでの長いシークエンスなど、いくつかのシーンがカットされた。このレッドのシーンに関してダラボンは、試写会では観客たちがレッドが成功しないことを確信していたために焦れていたように見えたと述べている。
  3. 他に時間の問題でカットされたシーンには、アンディの脱獄したトンネルを調査する刑務官の姿を映したものがあり、これはテンポが悪くなると考えられてカットされた。
  4. また、当初はアンディの犯行の様子を描いたコールドオープンで始まり、オープニングクレジット全体でアンディにかかる裁判の様子を描く予定であったが、より「パンチの効いた」オープニングにするために、これらのシーンは編集された。
  5. ダラボンが自己最高傑作と評した脚本上のある場面は、撮影スケジュールの関係で撮られることがなかった。そのシーンは夢を見ていたレッドがリタ・ヘイワースのポスターに吸い込まれ、太平洋の海岸で孤独で取るに足らない自分を発見して「恐ろしい、帰る方法がない(I am terrified, there is no way home.)」と言うものであった。ダラボンはこのシーンを撮影できなかったことを後悔しているという。
  6. ダラボンのエンディングの当初の構想は、レッドがバスに乗ってメキシコ国境に向かう姿までで、その後の運命については曖昧なままであった。
  7. グロッツァーは、レッドとアンディがジワタネホで再会するシーンを入れることにこだわった。グロッツァーよれば、ダラボンは「商業的で感傷的な(commercial, sappy)」エンディングと感じていたが、自身は2人の再会を観客に見せたかったという。
  8. キャッスル・ロックはこのシーンを入れなくても撮影資金は出すことに同意し、最終的な決定権はダラボンに任せた。このシーンは当初アンディとレッドが初対面の時の台詞を復唱する長い再会の場面もあったが、ダラボンは「何てこった、俺たち可愛くない?(golly-gee-ain't-we-cute)」と言ってカットした。
  9. 浜辺での再会は試写会の観客たちが気に入ったシーンであった。フリーマンとロビンスも、このシーンが必要な終わりをもたらすと感じていた。ダラボンは試写会の観客の反応を見た後、「私は思う。登場人物たちが長い冒険譚(サーガ)の末にたどり着く、不思議かつ高揚感を覚える場所だった……」と述べ、このシーンを入れることを決めた。


 この映画ではアンディは冤罪で投獄されており、真犯人が犯行を回想するエピソードも挿入されているが、結局のところ、その真犯人(『スタンド・バイ・ミー』でリヴァー・フェニックス演じるクリスを襲った犯人と同一とされる)が裁判にかけられることもなく(よってアンディの冤罪が晴らされることもなく)、またアンディ自身が真犯人に復讐をすることもなかった。
 確かに長期間投獄されたあと冤罪であると判明して釈放されたとしても失われた人生は取り返せない。真犯人に対して復讐をすることにこだわるよりも、投獄の体験で得たポジティブな面を活かし残りの人生を豊かなものにしたほうが有意義であると言えるかもしれない。

2026年2月27日(金)




【連載】3か月でマスターする古代文明(19)エジプト(2)ピラミッドの建造目的と経済効果

 昨日に続いて、表記の番組についてのメモと感想。

 引き続き、

●2025年10月22日初回放送 (4)エジプト ピラミッドと黄金が王国を変えた

について考察する。

 放送ではまず、ピラミッド建造について以下のように概観された。
  • エジプト文明におけるファラオの統治がおよそ3000年に及び、ローマ帝国に滅ぼされるまでに32の王朝があった。
  • 「初期王朝→古王国→中王国→新王国→末期王朝→プトレマイオス朝」というように区分され、ギザの三大ピラミッドはその中の『古王国』と呼ばれる時代。ピラミッドが盛んに作られたのはこの時期に限られている。
  • 最初期の第4王朝のシェプセスカフ王の王墓はシンプルな造りで、アラビア語でベンチを意味する『マスタバ』と呼ばれた。
  • 第3王朝のジェセル王の階段ピラミッドの頃から、ピラミッドは大きな役割を担うようになる。
 続いて河合望さん(筑波大学)がスタジオに登場。河合さんは、エジプト研究の第一人者・吉村作治さんに師事し、35年以上、現地での発掘調査や遺跡の保存・修復に取り組んでこられた。
 河合さんはまず、ピラミッドの新事実として以下のように指摘された【要約・改変あり】。
  1. ピラミッドは単なる墓にはおさまらない。
  2. 埋葬室の無いピラミッドもあるし、ピラミッドは造っていても王様は別のところに埋葬される例もある。
  3. ピラミッド単体ではなく、その周りの施設を含めて考えなければいけない(=『ピラミッド・コンプレックス(複合体)』)。
  4. 第3王朝のジェセル王のピラミッドを上から見ると、ピラミッドの周りには、葬祭殿、王の彫像安置室、祭壇、走行儀礼空間、王位更新祭施設、というように、王が死後も永遠に国を統治すると信じられ、王のために神官など多くの人たちが儀式を行う宗教施設であった。


 ピラミッド・コンプレックスは王の生前から造られた。ギザの三大ピラミッドはその集大成であり、今から4500年前に造られた。総面積は240ヘクタール・ジェセル王の時代にはなかった参道も造られた。クフ王の時代には最高神である太陽神のラーへの信仰が頂点に達し、王はラーの化身、神そのものであると見なされるようになった。王は参道を通りその終着点のピラミッドは太陽に登る装置として天へ向かってより高く大きく造られた。

 スタジオ解説者の関雄二さんは、ピラミッドがエジプトばかりでなく、チチェン・イッツァ(マヤ文明)、ボロブドゥール寺院(シャイレーンドラ朝)、太陽のピラミッド(テイティワカン文明)、というように各地にあることをふまえて、
  1. 人間が集団としてまとまっていくために、まとめるための装置、仕組みが必要。それが顕在化してくるのが文明。
  2. ピラミッドが1つニョキッと建つだけで景観が変わる。それだけで人間の意識が変わってくる。
  3. 意識が変わるだけでなく、前の王様のピラミッド、次の王様のピラミッド、というように、自分の生活空間の中に歴史や記憶が積み上げられていく。
  4. こういう動きというのが古代文明を形成していく時にとても大事な要素になった。
とコメントされた【要約・改変あり】。

 ここでいったん私の感想を述べる。
 何度か述べているように私自身は2006年3月、エジプト皆既日食見物の際にピラミッドを見学したことがあった【こちらに写真あり】。これだけ大きな建造物となると、やはり直接自分の目で眺めることに意義がある。写真だけではスケールの大きさは体感できない。

 ピラミッドの周りには見学者が居なくなることがある。観念的な意義づけになるが、その瞬間、私は、

●世界中でいちばん、ピラミッドの近くにいる人間

言い換えれば、ピラミッド4500年の歴史の中で、ほんの一瞬ではあるが、「ある瞬間、ピラミッドのいちばん近くに居た人」になれるということだ。

同じような『観念的な意義づけ】としては、
  • エジプト考古学博物館に展示されているツタンカーメンのマスクのケースの横に立てば、その瞬間は世界でいちばんツタンカーメンの近くに居た人になれる【こちらに関連記事あり】、
  • 富士山最高地点・剣が峰の岩の上に立った時「私はいま日本国内のすべての人の中で最も高い岩の上に居る」と実感できる。
  • 宗谷岬の先端のモニュメントの裏に立てば「私はいま日本国内のすべての人の中で日本の陸地の最北端に立っている」と実感できる。
等を挙げることができる。

 以前にも述べたことがあるが、巨大ピラミッドを造ったファラオの最大の功績は何か?と言えば、それは現代のエジプトにいまなお観光収入という富をもたらしていることだろう。同じことは京都の観光資源についても言える。例えば、足利義満は、金閣を造ったという点でいまの京都に莫大な観光収入をもたらしたと言える【厳密には、当時の金閣は放火により焼失しているが】。関雄二さんも言っておられたが、「自分の生活空間の中に歴史や記憶が積み上げられていく。」ことを促すような建造物を造った人はスゴい。自分の生きているうちばかりでなく、何百年、何千年もあとの人たちからも大きな功績として称えられる。

 あと、ピラミッドに似た建造物として『ボロブドゥール寺院』が挙げられていたが、この寺院は2025年6月に宿泊したジョグジャカルタから車で1時間以内にあることが分かった。『インドネシア・ジオウォーク』という趣旨のツアーだったのでこの寺院は訪れなかったが、せっかくの機会を逃してしまったのは残念。


 次回に続く。