【思ったこと】
980124(土) [一般]早生まれと遅生まれとどっちが得か? よろずやさんの1/22ほかの日記で取り上げられているように、現在の日本では、同じ年に生まれても、1/1から4/1生まれまでの人(=早生まれ)は、4/2以降に生まれた人よりも上の学年に上がることになる。この、早生まれと遅生まれとどっちが得か、ちょっと考えてみた。 私がもし子供の時に同じ質問をされたら、たぶん「早生まれが得」と答えたであろう。要するに、子供の頃は「早く1年生になりたい」、「早く中学に行きたい」、「早く大学生になりたい」というように、現在より未来のほうが素晴らしいものだとの幻想があり、少しでも早く上の学年に上がれるほうが得ではないかと単純に考えてしまうためである。 しかし、何十年か生活してみて思ったことは、今は今、将来は将来であって、将来に期待するような生き方、例えば「定年後には〜してみたい」とか「孫ができたら」とか、あるいは「天国に行ったら」などという生き方には殆ど意味がないことがわかった。 してみると、むしろゆっくり遊べる時にはたくさん遊び、いっぱい思い出を作ったほうがよいという考えになってくる。そういう意味では、小学校入学以前の「思い出のアルバム」の時期は、長ければ長いにこしたことはない。4/1生まれは、きっかり6年で小学校に入らなければならないが4/2生まれだったら6年と364日分も「思い出のアルバム」が作れるわけだから、そのほうがはるかに得だというのが私の結論である。 遅生まれであれば教育を受ける時期がそれだけ遅れるのがデメリットだという意見もあるだろう。しかし今の時代、例えば公文教室に毎月1〜2万円ほど払えば、いくらでも先のレベルを学ぶことができる。勉学に関して遅れをとることはあるまい。 いっぽう生活面では、4月生まれのほうが体が大きく、自立的な行動もそれだけ身についている。結果的に集団生活の中ではリーダー的な行動をとることが強化されやすくなる。勉学は塾でも身につくが、対人行動や、集団の中での役割行動は、学校以外の場ではなかなか強化されにくい。ということは、特に日々の発達の差が著しい幼稚園、小学校の時期には、自分より多少後から生まれたクラスメートと一緒に過ごしたほうが得だということになる。 つい先日、千葉大での飛び入学のことが話題になった。学長自身も似たようなことを言われていたが、入試制度はもっと多様であるべきで、現行の入試制度だけを無批判に受け入れて飛び入学のデメリットばかりを云々するのは問題であろうとは思う。ただ、なぜそんなにまでして早く大学に入らなければならないのか。高校はそんなに無意味な所なのか、とちょっと疑問に思った。入試を多様化することを前提に、もっと高校で、各自が興味をもった教科だけを積極的に学べるような機会を与えてやれば、それでよいのでは、つまり高校で難しいことをいろいろ教えすぎて自由な創造力を潰してしまうことのほうが問題なのだ。 大学教官には浪人を体験した人が意外に多い。うちの息子もいずれ高校生になるが、高校時代には高校生でなければできない体験をできる限りさせて、結果的に受験で失敗したら1〜2年ぐらい予備校に通わせてもよかろうと思っている。慌てて現役で大学に入ったって、すぐに大学教官になれるわけではないぞ。私など、6年もオーバードクターをやったのだ。 余談だが、もしやと思って岡大の教官定年規定を見て、面白いことに気づいた。それによれば、岡大の教官の定年は満65歳であり、退職の時期は「定年に属する日の属する学年の末日とする」となっている。ということは、4/1生まれの人は早生まれながら、誕生日からさらに1年間在籍することができるのである。できるだけ長く大学に残るのと、早く定年を迎えて悠々自適の生活をおくるのとどちらが幸福かは別の議論として、3/31生まれと4/1生まれでこんなに著しい違いがあるとは思いもよらなかった。 <1/25追記>
<1/26追記>上記の「俺さんのひそかな研究内容」は月曜日に拝見することができた。1/25は、サーバーに不都合があったようだ。 |
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※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
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