【思ったこと】
980917(木)[一般]信仰について(その5):どんな謎も4000字以内で解けるか? 昨日の日記で「科学的認識は広義の言語行動の形をとるものであり、普遍的な真理はそっくりそのまま認識されるのではなくて、人間の側の要請に応じて、環境により有効な働きかけを行うための秩序づけとして進化していくものだ」というような考えを披露した。 これに反して、「普遍的真理」であれ「第一原因」であれ、それらは先験的に記述可能であると主張する人もいる。その妥当性を考える材料として、「どんな謎も4000字以内で解けるか」という命題の真偽を考えてみたい。 「4000字以内で解ける」とはどういうことかと言えば
例えば、「『3倍して1を加え、2で割れるだけ(奇数になるまで)割る』という操作を繰り返すと、どんな奇数も最後は1になる」という予想は私が知る限りでは未だに証明されていないそうだ(フェルマの定理が証明されたことによってその後解決されたのかどうかは調べていない)。しかし、いずれ誰かが証明した時には、その記述は有限の文字で表現されるはずだ。それは4000字以内に要約可能であろうという意味。そこで、コンピュータで、日本語の単語を文法構造を誤らないような形で次々と組み合わせていく。組み合わせの結果について、それが妥当な証明であるかどうかを瞬時に判断できるコンピュータさえ存在すれば、苦労して考えなくても、自動的に証明ができるであろうというものだ。では、この命題のパラドクスはどこにあるのだろう? きょうは時間が無いので、他にもいくつかの例を掲げておくことにしたい。
|
【ちょっと思ったこと】
|
【新しく知ったこと】
|
【夕食後の夫婦の散歩】第12日目:妻の歩数で3223歩。
|
【生活記録】
|
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
|