じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
【思ったこと】
981007(水)[心理]ネット時代の学会総会のあり方に疑問をいだきつつ会場に向かうわたし 10/8〜10/10まで東京の学芸大学(東横線の「学芸大学」に行く人は居ないだろうなあ)で第62回の日本心理学会大会がある。10/8の朝にこの日記をアップし、8時すぎの500系のぞみ(←初めて乗るのだ。ワーイワーイ)で東京に向かうことになる。ノートパソコンを持っていくのも面倒なので、期間中はネットにはつながない。日記の次のエントリーは10/12朝となる見込みである。 ところで、この学会(正確には「学会の大会」)なんだが、ここ数年、どうもいまいち参加したいという意欲がわいてこない。インターネットが普及した現在、個人発表というものがどういう意味をもつのか分からなくなってきたためである。 周知のように、学会の大会では、招待講演、シンポジウム、ラウンドテーブルディスカッションなどのほか、会員の個人発表がたくさんの会場で行われる。個人発表といえば昔は、1人15分程度の口頭発表が主体であったが、いつぞやの京都大会の時から、ポスターセッションが導入されるようになった。これは例えば180×90cmのパネル上に自分の発表内容を張り付け、そこに訪れた人と個別にディスカッションするという形式である。 口頭発表の場合は聴き手は会場間を自由には移動できない。聴きたい発表が同じ時間帯に2つ以上あれば1つは諦めざるを得ない(ま、途中での出入りで、タイミングよく聴ける場合もあるが)。この点、ポスター発表は、興味のあるコーナーだけを廻ればよいので、その分単位時間あたりに得られる情報が多い。 では口頭発表よりポスター発表のほうが優れているのかといえばいちがいにはそうも言えない。口頭発表の場合、発表内容に重大な誤りがあればその会場でコテンパンに攻撃されるし(←といっても、年老いた名誉教授の随想的な発表などは、ついつい批判を遠慮してしまうものだ)、その意義もフロア全体で認め合うことができる。これに対してポスター発表では、ポスター前での会話が唯一の討論ということになり、どうしても内輪の挨拶だけに終わってしまう場合が多いように思う。仮に根本的に欠陥があるような発表をしても、誰からも注目されなければポスターセッションとしては無事に終了、そのまま「第○回大会発表」として公式に記録に残ることになるわけだ。 以上、とりあえず口頭発表とポスター発表を比較してみたわけだが、ネットが普及した時代、もはや口頭発表かポスター発表かという比較さえあまり意味をなさなくなってきたような気がしてきた。 わざわざ学会で発表するぐらいなら、学会の公式ホームページにより詳しい内容のファイルを転送し、付設の掲示板で時間をかけて広く批判を求めればよい。そのほうが記録にも残るし、多くの人の目にもふれやすい。何よりも出張費の削減や、移動時間の節約、発表論文集発行のための経費の節約につながる。20年前、30年前と同じ形式で個人発表を募集し、1万円を超える参加費・論文掲載費を徴収する意味がどこにあるのか、私にはあんまり意義が感じられない。 では、今後の学会(の大会)はどうあるべきだろう。少なくとも、年に1回だけ集まって研究発表しあうというような形式は廃止していくべきだと思う。その代わりに専用の掲示板とかメイリングリストを作って日常的に議論をする。もし年に1回集まるというなら、1年間の議論の総括の場とすべきだ。いずれにせよ、年に1度の大会の案内を送るための郵送費と発表論文集の印刷代のために会費をとられるような学会には存在価値がない。 以上述べたのはあくまで学会(の大会)の個人発表に関する話題であって、招待講演とかシンポジウムの開催まで意味が無いと言っているわけではない。もっとも、それらもたいがいは、演者のいい放しで、フロアからは4〜5人が持論をぶちまけるだけで時間切れ・打ち切りになってしまうケースも多いんだよなあ。これなんかも、ネットを活用した事前の討論を前提に開催したほうが意義深いものになると思う。 というような考えをいだきつつ、今年も学会に向かう私であった。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【夕食後の夫婦の散歩】28日目。妻の歩数で3928歩。
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【生活記録】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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