じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 旧・将校集会所の外壁を這っていたツタ。葉が落ちて茎だけが残り、ブラシのようなユーモラスな景色を作っていた[12/9撮影]。昨日の日記でご紹介したように、この建物は12/12午前中に解体され、ツタも二度と新芽をのばすことなくがれきのなかに埋もれていった。本文参照。

昨日から当日朝の日記

12月12日(土)

【思ったこと】
981212(土)[生活]旧将校集会所の解体工事を眺める
 11日の日記のセミ・ライブ映像としてご紹介したように、12日の朝に、旧・将校集会所が解体された。その時に記したように、現在の岡大の文・法・経三学部構内は、もともと第17師団の輜重兵第17大隊(工兵第10大隊のち同第10連隊)の兵営になっていた。その西南の角地には、見習士官・少尉以上の幹部の部隊内クラブ(将校集会所)があり、資料には“庭園を備え、日支事変出征記念と彫った石燈籠が残る。”と記されている。

 少し前に、某映画監督がロケの候補地として訪問されたこともあったようだが、結局ボツに。特に保存運動も起こらないままに、先月の旧・第四喫茶建物に続いて解体された。戦後すぐに保存処置がとられていれば明治村あたりに移築できたかもしれないが、すでに屋根の一部が崩れており、解体はやむを得ないところがあった。

 2号館の非常階段よりその作業を30分ほど拝見した。実際に作業をされていたのは、重機を動かす人を含めて3人程度。いつもながら、重機を人間の指先のように動かすさまには感心してしまう。
 途中、その重機で、瓦礫の中から白い石膏像が丁寧につまみ出された。この建物の一部は持ち主不明の自転車の一時保管場所とか廃棄される備品類の倉庫としても使われていたので、その際に放置されていたものかと思われるが、なぜここに置かれたままになっていたのか不明である。
 翌朝(12/13)ふたたびここを訪れ、間近に撮影させてもらった。この像が今後どうなるのか、まったく不明。

解体工事および石膏像の写真はこちら
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
  • 12/13のNHKニュースによると、東アジア各国が台風に共通した名前をつけることになったという。これまで台風の名前は、日本独自の「1号、2号」といった番号のほか、欧米の人名がつけられていた。今回の取り決めでは東アジア各国がローテーションで発生順に名前をつけるといい、1番目はカンボジア、2番目は中国、日本は5番目のローテーションとなる。ローテーションにあたった時にどのような名前をつけるかはそれぞれの国により任されており、韓国では動物の名前、香港は女の子の名前、日本はなんと、星座の名前をつけるという。但し、これは公海上を通る船舶などへの案内に使われるものであり、日本国内向けには従来の発生順の番号で報道されることになるらしい。しかし、「やぎ座台風が北上中..」とか「水瓶座台風が各地に大水害をもたらしました...」なんて言われるようになったら、ちょっと変な気がする。国際的な取り決めではなぜ番号だけという案にならなかったのだろうか。
【生活記録】
  • 12/14の午後2時に極大を迎える双子座流星群を眺めようと、12/13早朝に空を眺めてみたが一個も観察できず。5時40〜45分のあいだに、北西天頂方向から北東方向に人工衛星が通過するのを確認。いちばん明るい時で1〜2等星級はあったと思う。
【夕食後の夫婦の散歩】------84日目(妻は80日目)[娘は4日目、息子は3日]。ピカチュウ万歩計で2809歩。----
 外食のあと、夫婦と娘と3人で、近くのスーパーまで食料品を買いに行く。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】