じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
農学部農場のサツキ。今が見頃。 |
【思ったこと】
990530(日)[生活]川釣り初体験で「生と死」を考えるわたし 昨日のボウリングに引き続いて息子のほうからのリクエストにより県北勝田町のトム・ソーヤ冒険村に川釣りに出かける。 私はこれまで釣りには殆ど縁がない。記憶を辿ってみても、25年前に淡路島のユースホステルでアジ釣りを試みたことと、数年前に瀬戸内海の本島で投げ釣りを2回体験しただけ。計3回の体験で釣れたのはキスが1匹だけというお粗末さであった。川釣りに挑戦するのは今回が初めてとなる。 私が釣りをあまり好まないのは、ひとえに魚が可哀想だの一言に尽きる。水の中をイキイキと自由に動き回っている魚を釣り上げて自分の手で命を奪い取るというのは動物好きの私にとってはどうも気が進まない。とはいえ、最近もっぱら別行動を取りたがる息子からのリクエストとあれば受けないわけにはいかない。朝9時過ぎにアパートを出て途中買い物などしながら約2時間で現地に着いた。 川釣りとは言っても、河床が実質仕切られていて(写真参照)、入漁料を払うと12〜13匹の養殖ニジマスをそこに放流してくれる。魚は日頃から養殖槽で与えられた餌に食いつくように条件づけられているから引っかかるのは簡単。私自身はもっぱら見物役に徹していたが、ちょっとだけ妻から竿を借りて
この日は全くの手ぶらでやってきたため、クーラーボックスもバケツも何も用意していなかった。たまたま花壇用の如雨露が車にあったので、取った魚はこの中に収容していった(写真左下参照)。如雨露は川の水を流し込むとあふれた水が排水口から自然に流れていくので水を新鮮な状態を保てる。周囲からは変な目で見られたけれど、これはなかなかのアイデア品であった。大部分の魚は針をはずすときに弱ってしまってお腹を上にして浮いていたが、1匹だけ元気な状態で泳ぎ回っている魚がいた。何度か私と目が合ったが、恨めしそうにこちらをにらんでいるように思えた。 けっきょく家族全員で合計14匹(←直前に放流された数よりは多かった)の釣果あり。夜、お皿の上に焼き上げた魚が並んでいるのを見たが、目が合ってしまった魚はさすがに箸をつけるわけにはいかなかった。 ま、よく考えてみれば、日頃食べている食肉類なんかもみな動物の命を絶って口にしているものなんだが、飼育から食肉生産までの工程をすべて他の人々に委ねているのでそのことは殆ど意識されない。その一方、TVゲームの中では平気でモンスターを「やっつけて」しまう。針をはずす時、魚は苦しそうにもがく。手のひらに伝わる魚の「生」は日頃体験できないものであった。 そういう意味では、釣りというのは「他者の命を奪い、自分の生に一体化させる」体験として重要な意味をもつように思った。じっさい、食卓に上った魚を口にする前には、「ごめんなさい。ありがとう。あなたの生をいただきます。」と合掌したい気持ちががわき起こってきた。釣りをする人がすべて同じような気持ちになるのか、それとも慣れきってしまうと生と死のあいだを何も感じなくなってしまうのか、このあたりは分からないけれど。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【5LDKKG作業】
水撒き。葉っぱが黄色くなり枯れかけているジャガイモがあった。隣の畑のおじさんの話では、どうやら連作障害が出ている模様。メロンはだいぶ大きくなった。 |
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
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