じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
ダンギク。菊という名前がついていても実際はかなり異なる種類であるように見える。 |
【思ったこと】 991006(水)[心理]「行動を怠る」とはどういうことか(その4)下りのエスカレータを駆け上がる随伴性/健康管理 昨日の日記の続き。何度か指摘しているように、安全管理行動のようなものは、それが時たま生じた時に褒める(好子出現の随伴性)だけでは不十分。
1番目の「好子出現」を自発的に山に登って頂上(好子は、頂上の景色や達成感)に到達することに例えるならば、2番目の「好子消失阻止」の随伴性というは、下りのエスカレーターを逆向きに必至に駆け上がるようなものと言えるだろう。このエスカレータの例えは、だいぶ昔に大相撲の解説者が話しておられたものだ。相撲界に入門して地位を上げていくうちはケイコという行動は「地位が上がる」という好子出現の随伴性で強化されていく。ところが大関とか横綱のような地位に上り詰め何年か地位を維持していくうちに次第に体力が衰えてくる。この時点でのケイコというのは、もはや下りのエスカレーターを駆け上がるようなもので、一生懸命足を動かすことで何とか今の高さを維持できる。何もしなければどんどん下に下がり、ついには引退に追い込まれるというわけだ。 同じように例えるならば、3番目の「嫌子出現阻止」は、登山道から足を滑らし、崖の途中で必至に蔓に掴まっているような状態を言う。掴まっていたからといって誰からも褒められるわけではないが、手を放せばたちまち崖から転落して大けが、ヘタをすればそのまま死亡という結果を招くことになる。安全管理というのは本質的にはこの随伴性によって維持されるものである。「怠る」現象が生じるのは、崖のような具体的で差し迫った危機が目前に示されていないため。より専門的に言えば、確立操作(=一般に「危機への認識」などと言われるもの)が不十分で、かつ、嫌子の出現の確率がきわめて小さいためと考えることができる。 前にも書いたように、(一部の不心得者を除いて)ドライバーが運転時に注意を持続するのは、それを怠ると直ちに事故という嫌子が出現するためである。これはきわめて具体的で直接効果的。もっとも事故の発生という随伴性だけでコントロールしていたのでは犠牲者が続出する。それを未然に防ぐために交通違反の取締があるのだ。取締の随伴性は、お金という好子を罰金という形で取り上げてしまう。取締に引っかからないように安全運転をするとしたら、まさに好子消失阻止の随伴性によって維持されているという。但し、取締は安全運転以外の行動も強化してしまう。例えばレーダーを取り付けてネズミ取りを事前に察知するとか、検問所を通り過ぎたらたちまちスピードを上げるというように。このほか、アリバイ的な取締(例えばスピードを出しても何の危険も無いのに制限速度が40kmに設定されているような直線道路で形式的なスピード違反を取り締まるような行為。これでは安全運転は強化されない)。 このほか、健康管理も自分自身に対する安全管理行動と言える。このうち、風邪や食中毒に直結しやすいようなケースでは滅多に注意を怠ることがない。嫌子出現阻止の随伴性が直接的に健康管理行動を維持していると言えるだろう。いっぽう、成人病のように嫌悪的な結果が数年から数十年後に表れるケースでは、関連する日々の健康管理行動に別の随伴性を付加してやることが必要だ。歩数計を腰につけその結果をネットで公開するというのもこうした付加的な随伴性の一種といえる。 |
【ちょっと思ったこと】
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【本日の畑仕事】
ミニトマト、ピーマン、ナス、人参、枝豆を収穫。水やり。大根用の畑掘り起こし。 |
【スクラップブック】
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