じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
マンサク。漢字では「万作」と書くようだ。庭付きの家に住むことができたら、季節感を感じさせる庭木としてぜひ植えておきたい木。 |
【思ったこと】 _00222(火)[日記]「即席評論家」としてのWeb日記作者の意義と節度(その5)未遂事件にこそ教訓あり 昨年12月に大阪摂津市の小学2年の女児が誘拐された事件で大阪府警は19日、犯人と見られる男性の似顔絵と脅迫電話の声などを公開したという。脅迫電話の声は23日正午からフリーダイヤル0120-676-662で聞くことができる[2/20朝日新聞による] 昨年から今年にかけて、文京区の女児殺害事件、京都の男児殺害事件、あるいは新潟の女性監禁事件などセンセーショナルな事件が相次いだために、女児が無事に保護されたこの誘拐事件のことは相対的にあまり注目されなくなってしまった。確かにこの事件、誘拐自体は明確な犯罪であるものの、身代金奪取は未遂。他の事件に比べて被害の程度は最小限にくい止められたためにワイドショーのネタになりにくい点がある。しかし、事件の再発防止という視点から見るならば、犯人を逮捕する必要はもちろん、どのような働きかけが犯人に身代金奪取を断念させ女児の無事保護をもたらしたのか、もっと目をむけていく必要があると思う。 1998年11月20日の日記(こちらに連載のまとめあり)にも述べたように、いっぱんに、事件というのは、無数に近い原因が同時または継時的に重なったり、相互作用を起こすことによって生じるものである。警察や検察の主たる関心は、これら諸原因の中で、犯人の能動的な行為がどの程度介在していたかを調べることにある。能動的な行為の部分に注目するのは、それが主たる原因だからではない。諸々の原因の中でその部分だけが、刑事的対策によって抑止可能であると考えられているからである。 しかし、同種の事件の再発防止という視点から見るならば、犯罪を未遂に終わらせた要因を犯人の能動的行為部分だけに限定する必要はない。もともと、犯罪行為というのは、犯人側の能動的な行為と、警察及び善良な地域住民による犯罪抑止行動のぶつかり合いの中で生じてくるものである。未遂というのは犯人側にとっては失敗だが、防止する側にとっては成功。そういう意味では、今回の女児誘拐事件の場合、犯人が女児を解放せざるをえなくなった状況に追い込まれたのは警察側の行動が成果をあげたとも言える。 私自身の自戒を含めて言うが、とかく「即席評論家」はセンセーショナルな事件ばかりに目を向けがちである。その中で警察側に落ち度があると、あたかもそれだけが原因で犯罪(あるいは事故)が起こったかのように集中砲火を浴びせてしまう[←もちろん、監禁事件での新潟県警や、容疑者を取り逃がして自殺に追い込んだ京都府警の対応に問題があることは確かだが]。また、2月2日の日記でもふれたように、
なお「未遂にこそ」という視点は、交通事故や病気、災害の防止、平和活動にも同じように活用できる。
|
【ちょっと思ったこと】
|
【スクラップブック】
|
【今日の畑仕事】
多忙につき立ち寄れず。 |