じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 初チューリップ。秋に鉢植えしたチューリップの一部を暖かい室内に入れておいたところ、最初の花が咲き始めた。


3月5日(日)

【思ったこと】
_00305(日)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」その後(14):「監禁による心の傷」はどう裁かれるべきか

 3/4の朝日新聞によれば、新潟県の女性長期監禁事件で新潟地検は3日、佐藤宣行容疑者(37)を未成年者略取と逮捕監禁致傷の罪で新潟地裁に起訴。しかし、監禁によって女性が受けた心的外傷後ストレス障害(PTSD)については傷害罪での立件が見送られたという。

 新聞記事を見る限りでは、監禁による傷害とは、女性の両脚の筋力を低下させたという程度のことで、肝心の精神的打撃は監禁罪などに含まれるものとして独立して刑罰を適用することは殆どなかったという。

 この問題は、現実に被害者がいること、暴力の内容や被害者の回復の度合いが人権保護の見地から公開できないことなどから、第三者としては取り上げにくい事件であるが、「心の傷」が客観的に検証できるものかどうかという点で、心理学に携わる者として無視できない側面をもっている。

 結論から先に言えば、私自身は、「心の傷」の程度を客観的に量的に実証し、刑事罰の対象として審理のレールに乗せることはきわめて困難であると考える。

 念のためお断りしておくが、「心の傷」が無かったと言っているのではない。ただ、それは事件後の短期の心理療法だけで癒されるものではない。ある部分は一生に影響を及ぼすものであろう。それを裁判の証拠という形で、短期間にチェックすることは不可能。ヘタをすると、心理療法が成功すればするほど「心の傷」は軽かったと判定されかねない。このあたり、「両脚の筋力低下」というような運動生理学的に測定可能な傷害とは同一視できないように思う。

 では、どうすればよいのか。私は、他の傷害や殺人を含めて、加害者の行為が被害者の何を奪うことになるのか、その根本を問い直していく必要があるように思う。

 この連載でずっと取り上げてきた「行動随伴性」の視点から言えば、人間の生きがいの根源は、「行動し、その結果として強化される」ところにある。人間らしく生きる権利というのは、楽をしながら物や金銭を必要十分に受け取る権利ではない。物や金銭を手に入れるために外界に能動的に働きかけそので努力に応じて具体的な結果を得る機会が保障されなければ、鉢に植えられた植物人間になってしまう。高齢化や病気によって介護を受けるようになっても、外界に対して何らかの能動的な働きかけが残っているはずだ。そのリパートリーを出来る限り多様化し、それぞれに具体的な結果が伴うような環境を保障することで最後まで生きがいが保障されていくのである。

 この視点からみると、監禁というのは、その人が自由に移動しながら、自発されたオペラントによって好きなものを手に入れ、さらにその積み重ねることでより大きな結果を得るという基本的な権利を奪い取るという点で、あるまじき卑劣な行為であると言うことができる。監禁された被害者が毎日どのように美味しい食物を与えられていたとしても、どのように高級な衣装を着せられていたとしても、この権利を奪っているという点では同罪。これが如何に重い罪にあたるのかということを監禁罪に反映させれば、「心の傷」の程度を客観評価しなくても、無期刑以上に相当する重い罪として罰することができるはずなのだ。

 少し付け加えると、仮に二人の同年齢の被害者が同時に同期間監禁され、同じような仕打ちを受けていたとする。そのうちの一人はストレスに強いタイプで、解放後早期に復帰。もう一人は、逆に強度のストレス傷害を受け、終生社会に復帰できなかったとする。この場合、加害者の罪は、前者に対しては軽く、後者に対しては重いと見なされてよいのだろうか。「心の傷」という、被害者が被った結果だけから判断すれば違いがあるということになろうが、「外界に能動的に働きかけ、その努力に応じて具体的な結果を得る」という基本的権利を奪った点では同程度に罪が重い。与えた結果ではなく、結果を与えたプロセスに関わった犯罪行為を罰するべきであるというのが、私なりの刑法観だ。

 一般の傷害事件でも同じことが言える。加害者が被害者の身体に物理的な損傷を与えるというのは、
  • 痛みを与えたことに対する罪
  • その損傷によって、「外界に能動的に働きかけ、その努力に応じて具体的な結果を得る」という被害者の権利が部分的に奪われたことに対する罪
という2つの側面を持っている。これは殺人事件の場合でも同様。殺人というのは、被害者に生理的な苦痛を与える側面のほか、その犯行が無ければ被害者が何十年にもわたって享受できるはずだった「外界に能動的に働きかけ、その努力に応じて具体的な結果を得る」権利を完全に奪い取ってしまうからこそ重罪にあたるのだ。

 もとの話に戻るが、長期の監禁は、その期間内において被害者の「外界に能動的に働きかけ、その努力に応じて具体的な結果を得る」機会を奪っただけでなく、解放後、同じ年代の女性ならば当然自発できるはずの行動リパートリーにも傷害を与えている。それが完全に復帰するまでは監禁期間が終了したとは言い難い。保護されてリハビリに励む今の時期も、「外界に能動的に働きかけ、その努力に応じて具体的な結果を得る」機会が奪われているという点で、依然として監禁状態におかれているのである。もちろん、そういう状態をもたらしているのは病院施設関係者ではない。犯人自身に全責任があることは言うまでもないことである。
【ちょっと思ったこと】
【今日の畑仕事】
ジャガイモの植え付け。大根、人参、小松菜収穫。
【スクラップブック】