じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
パフィオ。昨年処分品で購入した苗から見事に花が咲いた。正式名は、ラン科パフィオペディルム。 |
【思ったこと】 _00318(土)[電脳]トロンの敗北?/キーボード配列の合理性をめぐる議論 3/19の朝日新聞朝刊に「わたしたちの15年(11)技術力」という記事。1982年の坂村建教授が提唱した「トロン」。1984年から開発が始まり、その基本OSを教育用パソコンに組み込んで全国の小、中学校に配布する段取りだったが、1989年4月28日にアメリカ通商代表部がその普及事業を「貿易障壁」としてやり玉にあげ、つぶされる【このあたりの経緯がこちらに記されていた】。 坂村教授によればトロンは無料公開を予定しており、困るのはOSを非公開にして稼ぐ人達だという。もっとも、単なる外圧ではなく、結局は技術とビジネスの両面でマイクロソフトに負けたとの見方もある。 前にもこの日記に書いたことがあるけれど、私個人のパソコン歴から振り返ると、マイクロソフトのOSが初めて必要になったのは、MS-DOSとセットで発売された一太郎のバージョン2の頃から。その後ジャストシステムは独自のジャスト・ウインドウを提唱したものの結局マイクロソフトに飲み込まれ、最近ではワード2000にすっかり押され気味だ。もっとも、Windowsの出現は、NECのPC98シリーズの寡占化に終止符をうち、かつて名機MZで名を馳せたシャープなど他の電機メーカーに再びパソコン製造のチャンスを与え、昨今のパソコン低価格化をもたらしたようにも思う。 「トロン」はOSばかりでなく、キーボードの配列についても新しい提言をしていたように記憶していた。さっそく検索をかけてみたところ、こちらの図が見つかった。その画像がリンクされていたBTRON サブプロジェクトのページ(1995年)にはキー配列設計の基本方針が記されている。要点を抜き出せば、
BTRON では、標準的なポインティングデバイスとして電子ペンを推奨している。そのため、トロンキーボードの物理的形状を設計する際には、電子ペン用のデジタイザがキーボードのパームレストと一体化するような設計になっている。電子ペンは、「ペン」といった日常利用している文房具と共通の感覚で操作でき、「マウス」といったコンピュータ特有の道具を用いなくても済むため、コンピュータに不慣れな人でも容易に利用することができる。また、電子ペンを使えば、マウスとは異なり、手書き入力への対応も可能である。そのため、マウスに代わる次世代のポインティングデバイスとして、電子ペンは最近特に注目を集めている。と記されてあった。 1980年代後半から1990年代前半は、私自身、医療技術系の短大に奉職していた関係もあって、ヒューマンインタフェースの問題にかなり関心をもっていた。当時集めたファイルをざっとめくってみたところ、『日経パソコン』誌の1989年8月14日号に「どうなる?キーボードの将来」というトピック・レポートがあった。そこでは、「キーボード見直しの機運高まる」と題して、既存のJIS方式のほか、親指シフト・キーボード、新JIS方式キーボード、M式キーボード、英文入力方式としてドボラック(DVORAK)方式などが比較検討されていた。このほか、当時のヒューマンインタフェースシンポジウムでは、人間の指の本来の機能は「握る」であって「叩く」ではないとして、握る動作を活かした入力装置を開発したという印象深い発表を聞いたこともあった。 あれから10年以上経って配列はどう変わったか? パソコンショップに出向いてみれば分かるとおり、大部分の機種は、未だに従前どおりのJIS配列のままだ。大げさに言えば、現実社会のインタフェースが必ずしも労働医学や人間医学や人間工学的見地から徹底的に追求された成果に基づいて構築されるわけではないという歴史的事実を示していると言ってもよいかと思う。 では、なぜあの当時議論されたキーボード論議はなぜ改革まで進展しなかったのだろうか。個人的な体験からその理由を推測してみると、
もういちど元の記事に戻るが、この連載記事には「80年代のリードを米に巻き返され、雌伏の90年代」、「トロンOSの敗北が岐路」、「モバイルに復活かけ」といった見出しが並べられており、その一例としてケータイの中にトロン技術が活かされたチップが組み込まれているというようなことが書かれていた。また、上にもリンクしたトロン協会のHPを拝見しても、その後さらに新しい進展があるようで、かならずしも敗北とは言えないような印象を受けた。21世紀における発展に期待したい。 |
【ちょっと思ったこと】
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【今日の畑仕事】
大根の花芽が出てきてしまったので大量に収穫。雑草取り。 |
【スクラップブック】
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