じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 木蓮。昨年4月12日の日記のこの欄に
小学校5年生の時に在校生として卒業生を送った歌は「木蓮の花咲いてる庭で靴の紐を直してくれた6年生....卒業だ」という歌詞だったと思う。小学校に入学したばかりに親切な上級生が靴の紐を直してくれたという意味なので、ちょうど今の季節のことを歌っているものと思う。もっとも今の時代、紐を結ぶような靴を履いて登校する児童は居ないかもしれない。
と記したことがあった。木蓮の花が高い枝に咲いていることを考えると、入学したての小さな子どもの記憶に本当に残るかどうかも若干疑問。なお、後ろの白い花はハナミズキ。一般教育棟構内にて。




4月26日(水)

【思ったこと】
_00426(水)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(19)科研費優先主義?の弊害(4)けっきょくは教員に対する多面的な業績評価の問題か

 科研費についての、とりあえずの最終回。今回は、4/21〜4/23の上京中に毎日の記録(4/20)さんやちはるの多次元尺度構成法(日記)(4/21)さんからいただいた意見をふまえて、私なりの考えを述べたいと思う。

 まず、毎日の記録(4/20)さんが
校費を研究費としてばらまかない、というのは、アメリカ型の大学経営を目指しているのだと思う。つまり、大学は教育に必要な費用は負担するが、 教官の個人研究に必要な費用は、特に理由がない限り、負担しない、ということ。 独立法人化したときに、学生に、教官の個人研究費まで負担せよ、ということは 難しくなるのだろうし、自分でお金を工面できる範囲でのみ研究ができる、という方向にすすんでいるのだと思う。
と指摘しておられるように、「実験講座校費削減、科研費全員申請」という方向が独立行政法人化の動きと一体化して進められていることは確か。またどっちにしても、学生が納入する入学金や授業料は教育のために使われるべきものであってそれを個人研究のために使うのは流用といっても過言ではない。現に、全国の大学に教養部があった時代には、教養部教員の研究費には多額の学生経費が加算され、学部専門課程の教員以上に潤っていたというような話を聞いたことがある。岡大では今年度になってから、大教室にノートパソコン画面が投影できる設備がついたり、マルチメディア学習室が整備されたりしたが、これらは、学長裁量経費が増額され、それが全学的な視点から配分された成果であるとも言えよう。

 というようなことを考えていくと、やはり、問題の焦点は科研費採択審査の透明性や決算の監査システムの整備に目を向けていく必要があるかと思う。

 科研費の審査についてはちはるの多次元尺度構成法(日記)(4/21)が述べて居られるように、審査員は当該年度が終わったあとに公表されることになっているようだ。事前に公表されると、学会年次大会でその委員と一緒に食事をして何かを奢ることが贈収賄疑惑をもたらす恐れを避けたものかと思う。それはそれとして、各審査員がどういう基準で採択、不採択の判断をしたのか、もっと具体的にそれぞれの研究申請に何ポイントを与えたのかということまで詳細に公表する必要があると思う。基本的にはスポーツ競技の審査と同様。審査委員自身の行動もあらゆる面から外部評価を受けなければならない。

 毎日の記録(4/20)さんが
公金を自由に使える特権階級ではないのだから、適正な研究計画を提示しないで、お金(=校費等)をばらまいてください、というのは、甘いと思う。今までの、天から金が降ってくる、という制度の方がおかしかったのです。
というのも正論だと思うが、そもそも、「長期間にわたる壮大な研究を行っているという名目で、実質、何もしていない教官なんて、まわりにゴロゴロ」しているとしたら、そういう教員が大学に在籍していること自体が問題。これは、結局のところ、個々の教員に対する研究業績評価、教育業績評価、委員会活動等への貢献を多面的に行うという問題につきるかと思う。現行の科研費とは別に、講座、履修コース単位での教育予算についても、教育内容(具体的な設備の必要性、履修希望者の数、卒業生の実績)に応じて重点配分化をすすめていく必要もあるかと思う。今年度は全学の関係委員に選ばれたことでもあるので、嫌われ者になることを覚悟で積極的に発言していきたいと思っている。
【ちょっと思ったこと】
  • 精神病院の身体拘束

     4/26の朝日新聞によれば、精神病院で腕や体を縛られたり、隔離されたりしている患者は全国で約1万4000人と推計されることが25日、厚生省の研究班の調査で分かったという。全国1548の病院に対して、昨年6月末時点での実態を尋ね、1090病院から回答あり。行動制限を受けていた患者は10055人で、病床数の4.1%。痴呆症の場合は9割が身体拘束、精神疾患の場合は身体拘束3割で7割近くが隔離。1カ月以上の行動制限は、
    • 痴呆症:隔離22、身体拘束20
    • 精神疾患:隔離607、身体拘束261
    となっていたという。

     このうち痴呆症患者に対する抑制については、99年11月14日の日記で一度ふれたことがあった。転倒事故防止や点滴などのためにやむを得ない抑制があることは確かだが、介護側の人手不足により、例えば、便意を表出できる患者にもオムツを与え、それを外させないために、つなぎ服を着せるという形で、いわばコスト削減のための拘束が行われている実態がある。

     同じ記事には、大阪府精神保健福祉審議会の医療人権部会が作った入院患者の権利宣言案の一部として
    • 不適切な治療を拒む権利
    • 開放的な環境で日光を浴びることができる権利
    • 清潔が保たれる権利
    • 落ち着ける環境で治療を受ける権利
    などが紹介されていたが、私の立場から言えばそれらと合わせて「外界に能動的に働きかけ結果を得る」の保障を強く求めたいと思う。要するに、いくら手厚い介護であっても観葉植物的な扱いでは人間的とは言えない。患者が少しでも能動的な働きかけを発している場合には、それに対して具体的で確実な結果を与える機会を保障していこうという考え。


【今日の畑仕事】

夕食後の散歩時にタマネギ2個を収穫。
【スクラップブック】